「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、世界文化遺産に登録される見通しとなりました。とても素晴らしいことですが、ふと疑問が湧きました。「隠れキリシタン」は授業で習ったけど「潜伏キリシタン」という呼び名に変わっていたの?
長崎県と熊本県の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、原城跡や大浦天主堂、さらに禁教期に弾圧を逃れて移り住んだ集落など12の資産で構成され、日本政府がことし、世界文化遺産への登録を目指しています。
もともと「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」だったものが、諮問機関であるイコモスから「構成資産をキリスト教の禁教期に絞るよう指摘をうけて当初14だった資産を12に見直し」たことで、これが「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」となったのだそう。
ここから「潜伏キリシタン」はキリスト教の禁教期と関係がありそうなことが推測されます。
「潜伏キリシタン」とは?
ということで、ググって調べてみたところをまとめると、次のようになります。
潜伏キリシタン:
江戸時代の禁教令下で強制改宗により仏教を信じていると見せかけつつキリスト教を信仰した信者。
かくれキリシタン(カクレキリシタン):
禁教令が解かれた1873年以降もカトリック教会に戻らず潜伏時代の信仰を守り通した信者。
この2種類を総称したものが「隠れキリシタン」です。
つまり禁教令下の「潜伏キリシタン」は、禁教令が解かれた後に「復活キリシタン」と「かくれキリシタン(カクレキリシタン)」になったということのようです。
これらの呼び名に関しては研究者によってまちまちのこともあるようですが、調べた範囲では「潜伏キリシタン」と「かくれキリシタン(カクレキリシタン)」を総称して「隠れキリシタン」とするのが多いようです。
「かくれキリシタン(カクレキリシタン)」の現在
信仰を続け民族宗教のようになった「かくれキリシタン(カクレキリシタン)」の現在が気になって調べたところ、長崎県の一部に独自の信仰様式を継承している人たちがいるそうです。
参考
▼潜伏キリシタンとは? 「かくれキリシタン」と違うの?:朝日新聞デジタル
▼カクレキリシタン、隠れキリシタン、潜伏キリシタン(Hidden Christian,Crypt Christian)
▼カクレキリシタンの信仰が今も残る! 長崎・生月島の旅 | 長崎県 | トラベルジェイピー 旅行ガイド