佐渡といえば連想するのは、金山という方が多いのではないでしょうか。佐渡金山は1601年に3人の山師により開山されたと伝えられています。それから1989年の閉山まで、388年に渡って金銀が採掘されました。え、1989年!? そうなんです、けっこう最近まで金銀の産出が行われていたのです。その量は金78トン、銀2,300トンと、日本最大級の金銀山です。
現在は「史跡佐渡金山」として金山跡地は公開されており、世界遺産への登録を目指しています。「史跡佐渡金山」にはいくつかの体験ツアーがありますが、今回は佐渡に詳しい方から絶対にオススメと教えて頂いた「山師ツアー」を体験してきました(冬期は雪のため休止しており特別に体験させて頂きました)。
「山師ツアー」は、江戸初期に開削された「大切山坑」を、ヘルメット、長靴、懐中電灯を頼りに、自分の脚で歩いて巡る学術的にも非常に貴重なツアーとなっています。坑道を歩くツアーのため、世界遺産の登録されるとできなくなるのでは、という話もあるそうなので、興味のある方は早めに訪れることをお勧めします。
ここまでの旅の様子は「佐渡旅行」からご覧ください。
「史跡佐渡金山」のコースと料金
今回はレンタカーで佐渡金山を訪れました。両津港から1時間ほどです。
駐車場にクルマを停めたら、観光坑道入口へ向かいます。「坑内温度は約10℃です」という表記がありますが、これは通年の気温だそうです。夏は軽装で訪れる方が多いと思いますが、寒いくらいなので注意してください。
ちなみに、佐渡金山というと金を採掘する場所を思い浮かべるのが一般的だと思いますが、関連史跡としてはこのように広がっていてます。山の上の方で金を掘り、それを町まで運び、さらに海から運び出します。人口数万人の町が形成されていたということです。日本中から人が集まった様は、まさに日本版ゴールドラッシュです。
坑道入口には各コースの説明があります。
江戸金山絵巻コース「宗太夫坑(そうだゆうこう)」は所要時間30分のコースです。年中無休で行われており、予約も必要ありません。大人900円、小中学生450円。
江戸初期の手掘り坑道跡に、「佐渡金山絵巻」に描かれた採掘作業を忠実に再現。400年前にタイムスリップ、先人の苦労に感動。佐渡金山を代表するコース。
明治官営鉱山コース「道遊坑(どうゆうこう)」は所要時間40分のコースです。年中無休で行われており、予約も必要ありません。大人900円、小中学生450円。
明治期に開削され休山時まで使用された坑道、トロッコ、機械類をそのままの姿で保存。また、道遊の割戸をいろいろな角度(直下、間近、遠景)から堪能。
暗闇廃坑探検コース「無名異坑(むみょういこう)」は2017年春オープン予定のコースです。所要時間は30分で、江戸、明治、昭和と採掘が続けられた坑道を、ヘルメットとライトで探検するという、今回の「山師コース」と似たツアーとなっています。通年営業なのと、ガイドの有無が「山師コース」との違いです。
ガイド付き「世界遺産ツアー」は世界文化遺産候補を巡るコースです。所要時間は100分となっています。開催は4〜11月で要予約です。団体向けのコースで、10名以上の申し込みが必要となります。大人1,200円、小中学生600円。
先述したように「佐渡金山」は採掘するところだけでなく、町を形成するほど広いところです。そこに点在する遺跡を解説付きで巡ることができます。
世界遺産候補の数々の生産遺跡。佐渡奉行所を中心に築かれた日本初の鉱山町。当時にタイムスリップした気分で、遺跡を巡り、鉱山町を歩きます。
そして今回、特別に体験させて頂いたのが「山師ツアー」です。
ガイド付「山師ツアー」は「大切山坑(おおぎりやまこう)」を自分で歩いて巡るツアーです。要予約、さらに対象は中学生以上となっています。真っ暗闇の坑道を懐中電灯の光を頼りに歩いていくので、こうした制限があります。催行期間は4〜11月で、大人1,400円、中学生700円です。所要時間は50分。
江戸初期のノミ跡がくっきり残る学術的にも貴重な大切山坑。山師になった気分で、真っ暗闇の坑道を本格的探検。ヘルメット、ライト、長靴は貸与。
どのツアーも魅力的だと思いますが、大人が佐渡金山を観光するならば、是非とも「山師ツアー」は事前予約して参加して頂くのがオススメです。
「宗太夫坑」の入口です。
チケット売り場です。
今回は「山師コース」ですので、1,400円を支払い金ピカのチケットを受け取ります。これで準備は完了です。「山師ツアー」のその後は、クルマでピックアップして貰います。
「山師ツアー」に参加!
チケット売り場のベンチで待っていると、時間通りにガイドさんがクルマでピックアップしにきてくれました。
「普段はもっときれいなクルマなんですが、出払ってて‥‥」とのことですが、一人ですしね!
「山師ツアー」はリアルに坑道を歩くツアーですので、準備が必要です。倉庫のあるところに行き、長靴に履き替え、懐中電灯を持ち、レインコートを着ます。軍手も。
水滴が落ちてくることもありますし、とにかく約10℃と涼しい環境なので、レインコートが助かります。
懐中電灯。坑道内の光はぼくの懐中電灯とガイドさんの懐中電灯、そしてガイドさんのヘッドライトのみ。本当にそれだけで進みます。
ヘルメットは必須。天井が低くなっているところがあり、気をつけてても何度も頭をぶつけました。
軍手です。
装備を整え、クルマで少し上の現場に向かいます。
普段は立入禁止でガッチリ閉じられている「大切山坑」の入口に到着です。
「大切山坑」は山師・味方予次右衛門が「この先に必ずや金鉱があるばずだ」という信念で掘った坑道です。明治以降は主力坑道として、再開発が行われました。「坑道内部は一般非公開」とありますが、それを特別に見学できるのが「山師ツアー」という訳です。
この坑道が掘られた後には、山のどこに鉱脈があるかというマップのようなものが作られており、ここを掘り進めば金があるだろう、ということはなんとなく分かっていたようですが、当時はそういうものもない時代。14年もの歳月をかけて400mを掘り進み、1647年に大鉱脈が見つかった時には歓喜に包まれたでしょうね。でないと、全てが徒労に終わってしまっていたのですから。
ガイドさんとともに、坑道にチェックイン! 奥は真っ暗ですよ。
坑道は左側に水が流れています。これは共通のルールで、途中から流れが右側に変わるところがあるのですが、そこから先は反対から掘られてきたということが分かるのだとか。
入口はまだ明るいです。
天井の低いところは、頭をかがめながら進んでいきます。
坑道が1本だと中の換気ができません。そのため「大切山坑」では空気不足を防ぐため、2本の平行坑道が同時に掘り進められました。これはその横穴です。カチンカチンでただでさえ掘るのが大変なところを、2本も坑道を掘っていたということに驚嘆しました。
【ガイドさんの解説動画】
並行した坑道に関する解説。目抜き。空気の確保には苦労していた、と。手掘りと削岩機の違いも。
トロッコを使用していた頃のレールも残っていました。
2本の坑道がクロスしているところです。これは、後からトロッコを通すのに右の坑道の方が良かったから、そのために坑道の壁を破ったのではないか、とのことでした。
これが鉱脈で、白いところにある黒いところから金が産出するそう。こうした硬い石を掘り、それを運び出し、金にしていたのですね。
これは近代になって空気を送った管で、そのまま残されていました。
水の流れが反対向きになったところです。
つまり、ここから先は奥から掘ってきたことになります。
ここから先は上に向かって掘っていたあとが残っていました。
朽ちたトロッコ。こうした歴史を感じる遺産が、そのままの形で遺されているものを見ることができるのも「山師ツアー」の特徴です。
しっかりとトロッコのレールも遺されていました。
白色の石英脈の中にある銀黒(ぎんぐろ)帯ですが、残されているということは、そこまで価値のないところということになります。
鉱脈に沿って上に向かって掘り進んだところです。ざっと見て数十メートルあったのですが、暗闇の中で上を向いた掘り続けるのはどんな困難だったことでしょうか。
【ガイドさんの解説動画】
1トン中に5グラムの金がとれれば採算に乗っていたという凄い話。今だと1トンで25,000円。
ここが「山師ツアー」の最深部になるので、後は折り返して戻ります。
さてここで、お楽しみの真っ暗闇タイムです。全ての明かりを消してみます。
【ガイドさんの解説動画】
こんなに薄暗いところで作業をしていたとは‥‥。
帰りの方がもちろん早いです。しばらく歩くと、すぐに出口に到着です。トータルして60分くらいだったでしょうか。
鍵をかけて終了です。
足元を見ると、長靴と泥でネチョネチョになっていました。坑道内は水気も多いので、長靴は必須ですね。
以上で史跡佐渡金山の「山師ツアー」は終了です。展示を見学するのではなく、金山を体験することができる素晴らしい取り組みでした。繰り返しになりますが、いつまで続けられるツアーなのかは分かりませんので、興味のある人はお早めに。
「史跡佐渡金山」の行き方・アクセス
>>史跡 佐渡金山
住所:新潟県佐渡市下相川1305番地
産業遺構「北沢浮遊選鉱場」
先述しましたが、佐渡金山としての関連史跡は周囲に点在しています。今回は発掘している坑道だけでなく、他の場所も見学しています。そんな中でも、フォトジェニックな史跡が「北沢浮遊選鉱場」です。銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用した場所です。東洋一の技術を誇りました。
お話を伺ったガイドさんです。
奥にあるのが明治期の施設です(昭和18年まで使っていたそう)。
手前にあるのが、昭和期の施設です。昭和13年頃から作り始めたものの、戦争もありセメントが手に入らず、思うように工事が進まなかったそう。セメントの質が悪く、明治期の施設より風化が早いのだとか。使用されたのは昭和17年〜27年までと長くはありませんでした。
ここで精錬まで行われていたそうで、かつては山師が山の中で行っていた作業も近代化により町中で行われるようになりました。
右手前のレンガの建物は石炭の火力発電所で、船で金銀を運び出した大間港にも発電所があったそうです(町中に発電所は3つあった)。近代化で、どんどん電力が必要になったのですね。
以前は草木が生えていたそうですが、世界遺産として注目され、キレイに整備されたそうです。ラピュタのようだと評する人もいるようです。言われてみると、ラピュタの世界観に通じるものがあります。
巨大な「50mシックナー」。川の水では間に合わなかったため、貯水槽として使われていたのだとか。
「北沢浮遊選鉱場」で使われた部品を作っていたと思われる場所だそうです。発電も部品を作るのも自前です。
鉱石はトロッコを使い、山から運ばれていました。その名残のトンネルです。
長年、鉱石が大雨で崩れて海に流れてこんでいるということで、明治から大正期には浜から鉱石を運び出し、そこから精錬もしたそうです。昭和期には山から産出しなくなったので、200軒以上に立ち退きを求め、海からトロッコで鉱石を運ぶということもしたのだとか。
「北沢浮遊選鉱場」の行き方・アクセス
住所:新潟県佐渡市相川北沢町3-2
金銀を運び出した「大間港」
佐渡金山の関連した史跡として訪れたいのが「大間港」です。海辺の点在する遺構が、写真好きな人にオススメです。
「大間港」は佐渡鉱山の鉱石や資材の搬出入を目的に、明治時代につくられた人工港です。1887年に始まった工事は、強い季節風や波浪で困難を極めましたが、1892年に完成しました。
かつての「大間港」の様子です。
トラス橋・クレーン台座です。鉱石の運搬に使用された橋で、トロッコに積まれた石は橋から下の小舟に落下させて積み込まれました。
台座にはクレーンが置かれていました。
ローダー橋脚。
これがかつての様子です。ローダー橋は、貨物を運ぶクレーンやトロッコが通っていました。今は橋脚だけ残っています。
1940年には鉱山への電力供給を目的として、火力発電所も建てられました。
「大間港」の行き方・アクセス
>>相川地区 大間港(国史跡予定地)へお越しの皆様へ:見学方法のご案内(佐渡金銀山を世界遺産に)
=================
佐渡旅は「佐渡旅行」からチェック!
=================