ジャニーズ事務所のジャニー喜多川氏が、2019年7月9日に死去しました。87歳でした。ジャニー喜多川さん 死去 87歳という記事になっています。
SMAPや嵐など数々の国民的アイドルを生み出した芸能事務所「ジャニーズ事務所」を設立し、音楽プロデューサーや舞台演出家としても活躍したジャニー喜多川さんが、9日午後、くも膜下出血のため東京都内の病院で亡くなりました。
日本の男性アイドルの総本山ともいえるジャニーズ事務所を作った人物が、ジャニー喜多川氏です。
ジャニー喜多川氏本人も様々に話題になりましたが、男性アイドルの礎を作った人物であるのは間違いないでしょう。
ジャニー喜多川氏はアメリカ生まれです。
朝鮮戦争で徴兵されたあと日本に戻り、昭和37年、男性アイドルグループ「ジャニーズ」を結成して「ジャニーズ事務所」を設立しました。
その後は「フォーリーブス」「たのきんトリオ」「シブがき隊」「光GENJI」「SMAP」「TOKIO」「Kinki Kids」「V6」「嵐」など男性アイドルグループを成功させました。
表に出てこない人でもありましたが、それには「自分は裏方に徹するべきだ」という信念があったということです。
「世界には悲しみもあるけれど、僕たちのショーはハッピーエンドで終わります。世界もハッピーエンドであってほしい。ショービジネスに携わる者としての1つの願いです」
NHKインタビューではこのように語ったそうです。
ジャニー喜多川氏のあと、社長を引き継ぐのは姉のメリー副社長の長女である藤島ジュリー景子副社長と見られています。
ジャニー喜多川氏は解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため、2019年6月18日から入院していました。
ジャニーズ事務所からは「代表取締役社長ジャニー喜多川に関するご報告」という内容のファクスが報道各社に送られています。
搬送後、集中治療室におきまして懸命な救急措置を行っていただいたことにより、一般病棟に移ることができましたため、病院のご協力もあり、ジャニーは、自身にとって子供のような存在でもございますタレントやJr.(ジュニア)との面会を果たすことができました。ジャニーがタレント達と過ごした病院での日々は、かけがえのない時間となりました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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「『歌は下手だったけど、テレビを見ながらずっと勉強してたんだよ。だから、ユーたちも勉強しなきゃダメだよ』と引き合いに出したり、中居君がアメリカでパスポートを無くした時の話をしていました。SMAPを育てた元マネジャーの飯島三智さんの手腕を高く評価していて、一時『次の社長は絶対に飯島。飯島しかいない』と語っていたほどです」
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2011年には「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」として、12年には「最も多くのチャート1位を獲得した歌手をプロデュースした人物」としてそれぞれギネス・ワールド・レコーズに認定されている。
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90年代からはジュリー副社長も積極的に制作や運営面などに参画。TOKIOやV6、嵐などの活動に関わってきた。制作面は叔父のジャニーさんを、運営面は母親を間近に見て学び、事務所の新体制づくりを時間をかけて進めてきた。