児玉清、肝機能障害で無期限休養ということをお伝えしていたのですが、残念なことに訃報が届きました。2011年5月16日に、胃ガンで死去していたそうです。77歳でした。
児玉清さん死去、77歳胃がんという記事になっています。
所属事務所によると、今年2月下旬に体調不良を訴え、都内の病院で検査したところ胃がんが発見され、3月下旬から入院して治療に努めていた。がんは肝臓に転移し、先週末から容体が急変したという。
肝機能障害と伝えられていたのですが、胃ガンだったのですね‥‥。もう「アタック25」での声は聞かれないのですね。
児玉さんは、学習院大卒後、東宝第13期ニューフェースに合格し、58年に「隠し砦の三悪人」で俳優デビュー。67年にフリーとなり、水前寺清子の「ありがとう」シリーズ(TBS)で一躍人気者となった。01年、フジテレビ「HERO」で主演木村拓哉の上司役を務めた。
「アタック25」では「収録が終わると、最後の1人まで見学者を見送り、サインには相手の名前を聞いて書き込む、律義な人柄」だったそうです。
また「アタック25」では、追悼特別番組を放送する予定ということです。後任の司会には、代役を務める浦川泰幸アナウンサーが継続するようです。
児玉清のモノマネで知られる博多華丸は「『ドイツ語会話』のときも、『まだやってるの? もうそろそろいいんじゃない?』って言われたことがある。怒っていたという感じではなかった。新しいことにチャレンジしなさいってことと(受け)取らせていただきます」とコメントしています。
ドイツ語会話に「博多華丸・大吉」が出演したのも、児玉清の推薦だったようですね。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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洗練された容姿と博学を背景にした安定感で、俳優業にとどまらず幅広く活躍した児玉清さんは、1933年(昭8)12月26日、東京都生まれ。学習院大演劇部では篠沢秀夫氏(現学習院大名誉教授)らと活動した。
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長男の大祐さん(41)によると、2月末に食欲不振を訴え、3月に入って検査を受けたところ胃がんが見つかった。同時に肝臓への転移も判明。同月下旬に都内の病院に入院したが、すでに末期状態で手術はできず、抗がん剤治療も十分に受けられなかった。
報道陣に対応した長男の大祐さんは「切り絵がしたい、絵が描きたいと言い、やり残したことが多かったようでした。でも何より現場に戻りたかったはず」と児玉さんの思いを代弁した。遺体は16日深夜に都内の自宅兼事務所に戻り、好子さんがずっと寄り添っているという。
遅咲きだった2人のブレークのきっかけは、華丸による児玉さんのモノマネ。華丸は「どんなオーディションも“フケすぎている”と落とされた。児玉さんのモノマネがなければ、たくさんの人の前に出ることもなかった」と最大の恩人であることを強調した。
最後の仕事は3月23日に収録したNHK BSプレミアムのPR用のミニ番組。同31日に予定されていた「パネルクイズ アタック25」の収録を欠席し、病院で治療に専念していた。しかし、14日に容体が急変し、15日に意識不明となった。最期は元女優で妻の好子さん(79)、大祐さんらがみとったという。
読書家としても知られ「子どもたちが本を読まない社会、国に未来はない。あらゆる人生が込められている活字の世界に触れることが大事」というのが持論。「翻訳が待ちきれない」と外国の本は原書で読み、分厚い新刊を月に4冊読破。蔵書は1万冊を数え、食堂まで山積みになっていた。テレビの書評番組や産経新聞の書評連載も好評だった。
児玉さんは切り絵が趣味で、腕もプロ級。病室に道具や材料を持ち込んでいた。シンガー・ソングライター、竹内まりや(56)からオファーを受け、2008年5月に発売された竹内のシングル「幸せのものさし」のジャケットを手がけたことも。
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