チェコ第三の都市、オストラヴァ。ホテルで朝食を食べ、8時に集合し、地元の方にガイドして頂きつつ1時間ほどの街散策を楽しみました。
小雨降る中でしたが、改めてチェコの歴史の深さも知ることができました。オストラヴァは鉱業で大きくなった街なのですが、その痕跡も街中にあったりして。
ホテルにロビーに集合し、5分ほど歩いて訪れたのはスメタナ広場です。
チェコの一番有名な作曲家であるスメタナを記念した広場です。ここは19世紀の後半まで牛広場と呼ばれていたそうです。なぜなら牛のマーケットがあったからです。
1889年までは牛のマーケットがあり、真ん中に石炭の炭鉱があったのだとか。え、こんなところに炭鉱が!? とにわかには信じられなかったのですが、炭鉱は町中のあちこちにあったのだとか。
1763年に石炭が発見され、オストラヴァは1860年代に石炭の町になりました。当初は炭鉱を開発する人がいなかったものの、1860年代に開発されたということです。
奥の劇場は「新世界」で有名なドボルザーグ劇場で、オストラヴァで一番大きな劇場となります。建築は1907年で、当時はオーストリア・ハンガリー帝国時代でした。
オストラヴァに劇場は5つ。中でも一番大きくて一番古いのが、ドボルザーグ劇場です。
「DIVADLO LOUTEK」はマリオネットの劇場です。1999年に引っ越してきて、1999年にチェコで一番ユニークな建物として選出された由緒ある建物です。
右奥の白い建物は2011年に増築され、からくり時計が壁に埋め込んであります。今回は残念ながらからくり時計のタイミングには合いませんでした。
オストラヴァで最も広い広場が「マサリコボ広場」です。中世時代は「大きな広場」と呼んでいました。マサリコは大統領の名前に由来するそう。
元々はただの地面、土で、周りには小さい建物が42軒ありました。ビール醸造には特別な許可が必要でしたが、この42軒は全て許可を得ていたのだとか。ちなみに当時はビールを作る許可は人ではなく建物が得ていたそうです。
黄色い建物は1539年に作られたオストラヴァで2番目に古い建物で、1930年まで市庁舎として利用されました。
塔にはベルが22個あり、それぞれにオストラヴァの有名人の名前が付けられているのだそう。18世紀の後半に大火事に遭い、修復されました。
「PUB」と書かれた緑色の建物が、今の広場で一番古い建物です。1830年に建て直しされました。1880年までは広場は広かったものの、建物は少なかったということです。
広場の周囲にある建物の中でより近代的な建築は、1930年に建てられた白いビルで、靴屋だったことから明るく商品を手にとってもらうため、窓が大きく取られているのだそう。
これはオストラヴァで最も古い建物である教会です。14世紀の後半に建てられたものですが、それ以前にあった木造の教会を新しくしたのだそう。そのため、ところどころ古い教会の建築物が残っているところがあるそうです。
かつてこの場所に門があったことから、それを模して建てられたマンションです。門の片側を模しており、いずれ反対側も建設される予定なのだとか。
個人的には超カッコイイ建築物だと感じましたが、街では賛否両論とのことでした。
小さな広場は、かつては鶏と野菜のマーケットでした。
オストラヴァの、町並み。
チェコらしい古い建築物の立ち並ぶ、非常に雰囲気ある町並みとなっています。
モラビア地方で2番目に大きい大聖堂「cathédrale of the divine saviour」です。
1889年に建築され、最近になって修復されました。もともと教会だったものが、1997年に大聖堂になりました。ちなみに大聖堂は大司教がいるかどうか、だそうです。
3,200人の収容が可能で、現在はミサやコンサートなどイベントも開催されています。
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