Twitterに流れたログを見て、元「レピッシュ」のキーボードディストの上田現が死去したことを知りました。それを伝えていたのは、元ブルーハーツのドラム梶原徹也のブログでした。
▼訃報
本日、レピッシュのキーボーディストであり、元ちとせさん他、多くのミュージシャンのプロデューサー、アレンジャー、コンポーザーとして活躍していた上田 現さんが、お亡くなりになりました。
最近では元ちとせの「ワダツミの木」を作詞作曲したことで、知られていたのではないでしょうか。
オフィシャルサイトを見ると、まだ情報は更新されていません。
インフォメーションあたりを見ると、恐らく腰痛でレピッシュの20周年ツアーの不参加を決めていたことなどが分かります。掲示板にも、追悼メッセージが寄せられはじめています。
「上田現 十秒後の世界」というブログもありましたが、残念ながら2007年05月11日で更新は止まっていました。
「訃報 上田現氏」というエントリーによると、がんだったそうです。47歳になったばかり。まだまだこれから、でした。
ぼくはほぼリアルタイムに「レピッシュ」を見ていて、その音楽スタイルには衝撃を受けました。
ミュージシャンて、カッコイイだけじゃない、いろんなかっこよさがあるんだと、思わせてくれたのが「レピッシュ」でした。
宝島に連載されていた「狂市・現の時事放談」も毎号、愛読してました。こんなおっさんありなんだと、気づかせてくれました。
レピッシュ – Wikipediaには「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZO にて上田現を含めたメンバーにより活動再開決定」と書かれています。
↑では腰痛を理由にツアー不参加かと思ったのですが、もしかするとこの頃は闘病の真っ最中だったのかもしれません。
「上田現」のことは忘れません。本当にお疲れさまでした。心よりご冥福をお祈りいたします。
追記:オフィシャルサイトが更新されました。
かねてより病気療養中であった上田 現ですが、肺がんのため3月9日午後5時15分永眠致しました。
一昨年末の発症以来、「腰痛」という公表のもと、完治を信じて、それこそ驚異的な努力を続けてまいりましたが、残念ながら47歳の誕生日を過ぎて間もないこの日、旅立っていきました。
肺がんでしたか‥‥。
2008年3月13日11時より千日谷会堂(JR信濃町駅 徒歩1分)に於いて仏式により告別式が執り行われるとのこと。
本人の希望でもありますので、少しでも多くの方々にお見送りをしていただけたら幸いに存じます。
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