元プロレスラーの上田馬之助が、急死しました。71歳でした。上田馬之助さん死去 金髪の悪役レスラーという記事になっています。
金髪の悪役レスラーとして活躍した、元プロレスラーの上田馬之助(本名・上田裕司)さんが21日、自宅のある大分県臼杵市内で急死した。71歳だった。
祖父がプロレスが好きで、よくテレビでプロレスを見ていたのですが、一緒にテレビで見たのか何で見たのか、金髪だった上田馬之助は印象的だったと記憶しています。当時は金髪の人って、少なかったですよね。
上田さんは、1958年(昭33)に大相撲の追手風部屋に入門。60年に引退し日本プロレス入り。66年から2年間、悪役レスラーとして米国を転戦。帰国後の73年3月に大木金太郎と組みインタータッグ王座を獲得。
「タイガー・ジェット・シンとの極悪タッグで北米タッグ王座を獲得」ということで、悪役レスラーとして活躍しましたね。
昭和の名悪役・上田馬之助さん急死 果物のどに詰まらせによれば、1996年に自動車事故で頸椎を損傷し、車イス生活を送っていたのだそうです。プロレスラー引退は1998年でした。
最近は大分県臼杵市内の自宅で恵美子夫人とリハビリに励んでいた。恵美子夫人によると21日午前、果物をのどに詰まらせ同市内の病院に搬送されたが、午前10時7分、息を引き取った。
「日本初の本格ヒール(悪役)」として注目を集めた、と。
心よりご冥福をお祈りいたします。
■関連記事
上田さんとタイガー・ジェット・シン(63)の凶悪タッグと、数々の名勝負を繰り広げたアントニオ猪木(68)は、所属事務所を通じ「また一人、同じ時代を過ごし、戦いを通じて信頼し合えた友人の旅立ちを見送るのは大変つらい気持ちです」とコメントした。
リング上では悪役を貫いた。「どうやったら嫌われるか」を常に考えていたという。だが、素顔は心の優しい紳士だった。試合会場ではファンからサインを求められても払いのけていたが、後でこっそりと練習生に色紙を取りに行かせてサインをしていたことを、後年、明かしている。現役時代から子供の施設を訪問するなど、ボランティア活動を続けていた。
上田さんは愛知県出身。1958年、大同高校を中退して大相撲の追手風部屋に入門。60年に力士を廃業して日本プロレスに入門。61年デビュー。全日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレスなどで活躍した。特に新日本プロレスでタイガー・ジェット・シンとタッグを組み、アントニオ猪木らと抗争を繰り広げたのは語りぐさである。まだらの金髪で「まだら狼」と呼ばれた。