大平シロー、急死

2012 02 10 1055

大平シローさん急死 55歳、心室細動…サブロー「信じられない」という記事になっておりますが、漫才コンビ「太平サブロー・シロー」として活躍した大平シロー氏が亡くなりました。

所属の吉本興業によると、シローさんが倒れたのは4日昼ごろ。大阪市内にある自分の事務所だった。緊急搬送されて一命は取り留めたが、意識不明状態に。心臓が小刻みに震え、全身に血液を送れなくなる「難治性心室細動」と診断された。

まだ55歳だったのですよね‥‥。漫才ブームの頃にはよく見ていましたが、最近では‥‥と思ったら、一度、吉本興業をやめていたのだそうです。

88年、サブローと一緒に吉本を離れ、東京の芸能事務所に移籍。全国区の活躍を見込んでの移籍だったが、これが苦難の幕開けだった。

仕事が激減し、1992年に「太平サブロー・シロー」は解散、参院選に出馬するも落選、サブローが1993年に吉本興業に復帰した後、シローも1998年に吉本興業に復帰しました。

復帰後は放送作家などしていましたが、芸人としてひのき舞台には立つことはなかった、と。

関係者によると、近年はほとんどタレントとしての活動をしておらず、大阪市内での居酒屋やバー経営が生活の中心だった。旧知の芸人らも、もはやシローさんを芸人とはみなしておらず、調理人として「大将」などと呼んでいたという。

大幅に体重が増えて「健康状態が心配される様子だった」そうです。

ご冥福をお祈りいたします。

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97年には紳助さんの仲介もあり、放送作家として芸能界に復帰し、98年に吉本興業に戻ることも許された。その際、芸名を太平から大平に改めた。その後は、タレント業や劇団での役者業に加え、自身がプロデュースしたお笑い興行を定期的に開催。その一方で、飲食店を経営するなどしていた。

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91年にコンビ解消後、別々に吉本へ戻ってからはシローさんについて多くを語ることはなかったが、「最近はデビュー36年ということもあり、過去の写真や映像を見ることが多く、どうしているんだろうなと思うことも多かっただけに大変ショックを受けています」とつづっている。

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ただ近況について、シローさんを知る関係者は「周囲には『店もあるし、表舞台はもうええわ』と言いつつ、かつみさんら弟子や若手のことは気になっていたらしく、指導は続けたい様子でした」と、微妙な胸のうちを代弁。

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その洗練された話術に「ツービート」のビートたけし、「紳助・竜介」の島田紳助さんらは「漫才ではサブロー・シローに勝てない」として、司会業への道を歩んだとされる。

訃報:大平シローさん死去、55歳…漫才ブームで活躍

大阪府泉大津市出身。75年にトリオ漫才の「レツゴー三匹」に入門。翌年サブローさんとのコンビでデビューし、80年NHK上方漫才コンテスト最優秀賞を受賞。92年にコンビを解散し、最近は俳優や放送作家としても活躍していた。