建築家の黒川紀章さんが死去という記事より。
日本の代表的な建築家として国際的に活躍した黒川紀章(くろかわ・きしょう)さんが12日午前8時42分、心不全のため東京都新宿区の東京女子医大病院で死去した。
建築家としての活動は、実はあまり知らなかったりするのですが、近年は都知事選や参院選に出馬するなど、“政治家”としての顔に触れる機会が多かったように思います。
記事によれば、参院選期間中から体調を崩していたそうです。元気そうに見えましたけど、やはり選挙戦というのは、肉体的にかなりハードだったのでしょうね。73歳でした。
黒川紀章さん急死「都知事就任」叶わずによると、検査入院からそのまま入院し、急変したということです。
「まさか、まさか…。こんなに突然急変するなんて思いませんからね、誰も。だから覚悟っていってもまさかね。こんな人間、簡単に死んでしまうとは思いませんでした」と妻の若尾文子はコメント。
若尾文子 遺言は「本当に好きだった」によると、最後の会話は次のようなものだったそうです。
虫の知らせか、若尾は「“私はあんまりいい奥さんじゃなかった”と言ったんですね。そうしたら“そんなこと(ないよ)、そんなこと、そんなこと”と強く否定して“本当に好きだったんだから”と言ってくれました。
黒川紀章氏らしい、ですね。
ご冥福をお祈りいたします。
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関係者は「15年前からは酒もたばこもやめて、健康に気をつけてきた。『90歳まで生きる』と言っていたのに本当に残念。やはり選挙で体力を使い果たしたのだと思う。悲しい」と語った。
終盤には腰痛と貧血のため歩行も困難に。車いすでの移動を余儀なくされた。選挙最終日には最後の遊説地、東京・新宿に姿を見せず。ホテルで休んでいるとされたが、実は「東京女子医大病院に担ぎ込まれ、点滴を受けていた」(関係者)。
「すでにかなり具合が悪そうだった。パイプイスに座っていて、ソファでは立ち上がれないのではないかと感じた」と言う。
自宅のマンションでインターホン越しに取材に応じ「まさか急に亡くなるとは思わなかった。とてもつらかった。今は(疲れたので)横になりたい」と、憔悴(しょうすい)した様子で話した。
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作品は国立新美術館(東京)、国立民族学博物館、国立文楽劇場(ともに大阪)など国内各地のほか、海外もゴッホ美術館新館(アムステルダム)など20か国以上に。
▼黒川紀章氏が急死…妻・若尾へ最後の言葉「本当に好きだった」
世界的建築家の故丹下健三氏に師事。20代後半から「建築界の寵児」として名をはせた。国内外で数多くの先鋭的な建築物や都市設計を手掛け、国内外の受賞歴は多数。現在では当たり前の言葉「共生」も、黒川さんの造語。
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「朝は時間がないので、千葉産ピーナツと、奥さんが買ってくれるにんじんジュース」といい、「昼は奥さんの愛妻弁当を楽しみに食べるの」と子供のような笑顔で話した。
黒川氏は名古屋市生まれ。昭和32年に京都大学建築学科を卒業後、東京大学大学院博士課程修了。日本芸術院会員。都庁舎を設計した故・丹下健三氏に師事した。