タレントの宮尾すすむが、2011年7月12日に肺炎のために亡くなりました。77歳でした。
宮尾すすむさん、食道がん知らず…によると、食道ガンにより肺の機能が低下、肺炎で亡くなったということです。
山口は「6月中旬に飲み込みが悪く、病院で検査をしたら、大きな食道がんがあった。どうしようもない場所だった。医師から3カ月頑張ってもらえたら言われた」と余命3カ月と宣告されたことを明かした。7月に入り状態は悪化し、「今月いっぱいかも」と言われ、11日には「今晩かも」と医師から言われたという。
息子でフリーアナウンサーの山口雅史が会見をしています。
宮尾すすむというと、やはりテレビ番組のコーナー「ああ日本の社長」を思い出します。
宮尾すすむさん死去…6月食道がん発見も時遅くによると、晩年は病気続きだったようです。
宮尾さんは92年に顎下腺腫瘍(がくかせんしゅよう)、94年には腸捻転、02年に腰痛や前立腺肥大の手術を受けた。07年5月には都内で車を運転中に意識を失い、前の車に追突、急性硬膜下血腫と診断された。表舞台から遠ざかり、最近は水頭症や肺炎の検査を受けていたという。
告別式は7月18日、妻明美さんの命日だそうです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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覚悟は決めていたが、父との別れは突然だった。11日夕に仕事先に「危ない」という連絡が入り、12日午後に血圧が急激に下がり、息を引き取った。亡くなる直前、山口は「僕、仕事頑張っているからね」と声をかけた。宮尾さんは山口の結婚を心配していたが、5月に最愛の人と婚姻届を提出。宮尾さんは心から「良かったね」と言ってくれたという。父への最後にして最高の報告だった。
旧満州(現中国東北部)生まれ。戦後、鹿児島県に引き揚げた。衣料品店などを経営した後、漫談家の宮尾たか志さんに弟子入り。ジャズ喫茶やクラブでの司会や、森進一さんら人気歌手の公演で司会をした。
宮尾さんは1960年代に鹿児島県から上京後、70年代にテレビ番組のリポーターに。一躍その名を高めたのは、テレビ朝日系「モーニングショー」で81年1月から始まった「ああ日本の社長」。全国の社長宅を訪れ、独特の腰の低さで成功談や苦労話を引き出した。一時中断も平成をまたいで16年間続き、テレビ番組が一般人宅を訪れる先駆けとなった。
あの「ハイッ!」のポーズは、母親の仕草からヒントを得ながら、「縁起物の手の内をあえて見せる」という意味もあったようだ。
そんな父親に、山口は自分が実況したプロレスの試合のDVDを亡くなる当日まで見せていたという。「意識はないと思っていましたが、視線はDVDに向かっていました」。入院直後から意識は混濁していたが、看護師がDVDのスイッチを消そうとすると、宮尾さんが怒ったこともあったという。