森繁久弥、死去

俳優の森繁久弥さんが死去という記事より。

映画、舞台、テレビなどで幅広く活躍した日本を代表する俳優で、大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章した森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが10日午前8時16分、老衰のため東京都内の病院で死去した。

俳優の森繁久彌が、老衰のため亡くなりました。御年96歳でした。病気ではなく、寿命を全うしてですから、うらやましい限りです。大往生ですね。

長い下積み生活を経て、戦後映画界入り。人情ものの傑作「夫婦善哉」(1955年)では金持ちのぐうたら息子を味わい深く演じ、「社長」シリーズ、「駅前」シリーズなどで卓越した喜劇俳優ぶりを示し、人気を得た。

大俳優になってからしか知らないので、こうした喜劇役者の時代は知らないのですが、日本のおじいさん、というイメージでした。

「徹子の部屋」の最初のゲストが、森繁久彌でした。30年以上前の話です。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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