俳優の森繁久弥さんが死去という記事より。
映画、舞台、テレビなどで幅広く活躍した日本を代表する俳優で、大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章した森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが10日午前8時16分、老衰のため東京都内の病院で死去した。
俳優の森繁久彌が、老衰のため亡くなりました。御年96歳でした。病気ではなく、寿命を全うしてですから、うらやましい限りです。大往生ですね。
長い下積み生活を経て、戦後映画界入り。人情ものの傑作「夫婦善哉」(1955年)では金持ちのぐうたら息子を味わい深く演じ、「社長」シリーズ、「駅前」シリーズなどで卓越した喜劇俳優ぶりを示し、人気を得た。
大俳優になってからしか知らないので、こうした喜劇役者の時代は知らないのですが、日本のおじいさん、というイメージでした。
「徹子の部屋」の最初のゲストが、森繁久彌でした。30年以上前の話です。
心よりご冥福をお祈りいたします。
■関連記事
自ら作詞・作曲して歌った「知床旅情」は70年代、加藤登紀子さんの歌で大ヒット。ひょうひょうとした独特の語り口、節回しは「森繁節」と親しまれた。
私のことを『みっちゃん、みっちゃん』といつも呼んでくださった、座のじ(森繁さん)のお声、うれしそうな笑顔…もうお会いできないと思うと、たまらなく寂しいです。
森繁さんは7月22日、夏風邪をひき熱が出たため、検査をかねて都内の病院に入院。いったんは平熱まで熱が下がったが、痰(たん)が絡む症状がみられたため、入院を続けていた。
「あゆみの箱」の会長を務めるなど慈善活動にも尽力。日本俳優連合理事長として大衆芸能の発展と俳優の地位向上に努め、後輩の俳優たちから「おやじ」と慕われ“森繁ファミリー”と呼ばれた。
関係者によると、晩年は表舞台に登場せず、都内の自宅で暮らし、誕生日などは孫やひ孫に囲まれて楽しく過ごしていた。最近まで食欲も旺盛だったが7月22日に風邪をひいて入院した。