元日本ハム監督・大沢啓二氏が死去 78歳という記事より。
日本ハムなどで監督を務めた大沢啓二(おおさわ・けいじ)氏が7日午前7時25分、胆のうがんのため東京都内の病院で死去した。78歳。神奈川県出身。葬儀・告別式は未定。
“大沢親分”こと大沢啓二氏が、胆のうがんのため亡くなりました。78歳でした。つい先日まで、テレビ出演しているのを見ていた気がするのですが‥‥。
日本プロ野球OBクラブの理事長もこなしたほか、日曜日朝のテレビ番組では「ご意見番」としてプレーぶりなどに“喝”を入れ、人気を集めた。最近は体調を崩し、9月19日が最後の出演だった。
やはり、つい最近まで「ご意見番」をしてましたよね。2010年7月のモルツ球団では、総監督もしてました。確かに痩せたような印象はありましたが、闘病されていたのですね。
一緒に「ご意見番」をしていた張本勲氏は、次のようにコメントしています。
「悲しいというより悔しい。まさかこんな急に…。(3日の番組の)本番終了後、お見舞いに行ったばかり。細い声だったけど会話もできたし、また一緒に番組に出られると信じていたのですが…。『ハリやん、飯食いに行こうか』とまた電話がかかってきそうな気がする」
“喝”の声が懐かしいです。
タレントの大沢あかねは孫です。「おじいちゃんは本当に私の心の支えでした。いつも陰ながら支え、応援してくれていました。ひ孫を見せることができたのが、最後のおじいちゃん孝行だったと信じたいと思います」とブログを更新しています。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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大沢氏は神奈川商工で投手として甲子園に出場。立大では主将・4番打者として活躍した。1956年に南海(現ソフトバンク)に外野手として入団。59年には故杉浦忠、野村克也らとともに日本一に輝いた。東京(現ロッテ)に移籍した65年に現役引退。東京でコーチ、2軍監督を経て71年途中に監督に就任した。
ソフトバンク・王貞治会長「日本シリーズで対戦したとき、守備位置を頻繁に変える魔術師のような選手といった第一印象でした。常に野球界の先頭に立ち続けた、現在のプロ野球界の礎をつくったうちのお一人でした。心よりお悔やみ申し上げます」
同番組で司会の関口宏が、今季の優勝争いについて「中日とソフトバンクが有利と言っていた通りになったことに『あっぱれ』をいただきたい」とのコメントを代読していた。
TBS系テレビ番組「朝ズバッ」や「サンデーモーニング」でコメンテーターを務め、「あっぱれ」「喝」を決めぜりふにした歯に衣着せぬご意見番として人気を博した。タレントの大沢あかね(25)は孫。あかねは、劇団ひとりと結婚、さきごろ女児が産まれたばかりだった。
大沢元監督の死去を受け、日本ハムは7日に宮崎で行われるフェニックスリーグの韓国・ハンファ・イーグルス戦で、センターポールに半旗(球団旗)を掲げる。またチームの指揮を執る五十嵐2軍監督やコーチ、選手は喪章をつけてプレー。試合前には黙祷(もくとう)を行う。
プロ野球日本ハムなどで監督を務めた大沢啓二(おおさわ・けいじ)氏が7日午前7時25分、胆のうがんのため東京都内の病院で死去した。78歳。神奈川県出身。葬儀・告別式は未定。タレントの大沢あかねさんは孫。