ケベック州はカナダの中で唯一、フランス語のみを公用語としている州であり、そもそも1534年にフランス人探検家ジャック・カルティエが「ヌーヴェル・フランス」として植民地として発展したことに起因します。
その後、フランスとイギリスの間で覇権争いが続き、後にイギリスに占領され、ケベックはイギリス領となりました。ケベック・シティーは人口73万人と少ないものの、歴史あるケベック州の州都であり、ケベック州議事堂のある行政立法の中心地です。
ケベック・シティーを旅する 〜ジュ・ム・スヴィア
ケベック・シティーは日本(成田空港)からだとモントリオール空港で飛行機を乗り継ぐか、もしくはクルマで訪れることができます。モントリオールからは約300kmほどのところに位置します。
ケベック州はある規模以上の会社になると、フランス語で使ってビジネスをすることが求められるそうです。そのため、日本企業はケベック州に進出しておらず、住んでいる日本人の数も非常に少ないのだそうです。
そんな数少ない日本人ガイドの方から、ケベック州、ケベック・シティーについて、その歴史や成り立ちを伺うことができました。
ケベック州の広さは日本の4.4倍、人口は約830万人です。神奈川県が約900万人のため、日本に比べると人口密度は低いです。ですが、2019年においてもケベック独立を志向する人が多いのも特徴です。
州のモットーは「Je me souviens(ジュ・ム・スヴィアン:私は忘れない)」で、これは「フランス系カナダ人がジュ・ム・スヴィアンという時、ただ単にヌーヴェル・フランス植民地の時代を忘れないというのではない。自分たちはイギリスに征服された民族である事実をもまた示唆しているのだ」というように解釈されることがあるそうです。
現在では、
Je me souviens/ Que né sous le lys/ Je croîs sous la rose.
私は忘れない、ユリの元に生まれ、バラの元に育つことを
というように、二行目とともに知られることとなっています。ユリはフランスを、バラはイギリスを意味しています。
「ジュ・ム・スヴィアン」というモットーがケベックの人たちにどれだけ大切にされているかというと、クルマのナンバーに付けられていることからも分かります。
そしてケベック州は山上に湖がたくさんあり水資源が豊富で、水力発電が盛んに行われており、それをアメリカに売電することで豊かさを築いているそうです。そうした背景もあり、ケベック州には独立を志向する人が多いとのことでした。とはいえ、近年ではその数も減ってきてはいるということでした。
カナダ人全般にも言えることですが、とにかく人柄が穏やかで、レストランなどに入っても気さくで優しい人たちが多いです。とても観光しやすい街だと感じました。
そして、フランスの影響が色濃く残っているケベック州、特にケベック・シティーは、街歩きをしていると、ここがカナダであることを忘れてしまいそうになるくらい、建物はヨーロッパ風です。
あちこちから聞こえてくるのもフランス語ですし、看板なども全てフランス語なので、北米にいるのだけれどフランスを感じる、不思議な街並みになっています。
ケベック州議事堂の前には、0kmの基準点も設置されています。
カナダはイギリス連邦加盟国であり、女王はエリザベス2世となります。詳しくはなぜカナダの国名は「カナダ」なのか?もご覧ください。
戦場公園のダイヤモンド岬の由来
ケベック・シティーのセントローレンス川のほとりに、ダイヤモンド岬はあります。
ケベック・シティーは城壁の街で、フランス人が築いたものをイギリス人が完成させました。それはアメリカからケベック・シティーを守るためだったそうです。
そもそも、なぜ「ヌーヴェル・フランス」はここに築かれることになったかというと、河口では100kmの川幅があるセントローレンス川が、ここで1km程度となります(河口はクジラが入ってくるほど広い)。
もともとはジャック・カルティエがジパング伝説を求め、大西洋から太平洋に抜けられると信じてやってきたのですが、結果的に川だったことが分かります。
しかし、ここからさらに奥に進むとアメリカがあります。それはすなわち、アメリカの広大な資源を手に入れ、守ることができる、そんな要衝としての価値を見いだされたのが、現在のケベック・シティーのある場所でした。
余談ですが、ダイヤモンド岬のところで輝く石が見つけられたのですが、実はそれはクリスタルでした‥‥という過去の事情から、ダイヤモンド岬と呼ばれているそうです。
ダイヤモンド岬の周囲は戦場公園と呼ばれる地で、もともとフランスとイギリスが戦闘していた場所です。勝利したイギリスは、しかし川向うの奥の奥からやってくるアメリカから、ここケベック・シティーを守ることとなりました。
1775年の大晦日、アメリカ独立前夜に、アメリカの独立軍とイギリス軍は戦闘したということです。それだけ、このケベック・シティーの場所を各国が欲しがったということです。
戦場公園は英仏戦争の最後の戦場で、1908年にカナダ史跡第一号となっています。
歴史を知ると街歩きも楽しくなる!
こうした歴史を知ると、なるほどケベック州ならびにケベック・シティーのよーロロ風の街並みの理由がよく分かります。
街中を散策していると、アッパータウンとダウンタウンをこのような絶壁が遮っているのが分かるのですが、これもまたケベック・シティーが要衝として選ばれた理由で、要するに攻めるのが困難だったということです。
カナダは大自然のイメージが強いと思いますが、こうしたヨーロッパと深く関わっている歴史もあることを知ると、ケベック州にも足を運んでみたくなるのではないでしょうか!?
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カナダ東部について詳しい書籍
ケベック州の旅について
ケベック州観光局のプレスツアーに参加し記事を執筆しています。