「つけ麺」の元祖として知られる、東池袋「大勝軒」の創業者である山岸一雄氏が、心不全で死去しました。80歳でした。つけ麺の父「大勝軒」山岸一雄さん死す…のれん分け100店以上という記事になっていました。
「つけ麺の元祖」として知られるラーメン店「大勝軒」を創業した山岸一雄(やまぎし・かずお)さんが1日、心不全のため東京都内の病院で死去した。80歳。
「大勝軒」で暖簾分けした店では何度もつけ麺を食べたことがありますが、ついぞ東池袋で食べることはありませんでした。
フジテレビのノンフィクションに出演した回をよく覚えているのですが、1日でも修行した人には暖簾分けを許す、みたいな主義で、それだと美味しい店もそうでない店も全て「大勝軒」になってしまってよくないのでは、と思ったのですが、美味しくなければ淘汰されるだけだし、今となってはそのDNAが全国で100店舗以上に受け継がれ、津々浦々であの甘酸っぱいスープを味わうことができると思うと、それは素晴らしい選択だったのかな、と思います。
「子供がいなかった山岸さんは、弟子を次々と受け入れ100人以上を育てた」ということで、どんな弟子でも子供と思い、その行く末を案じていた方なのかもしれませんね。そういえば、浦和駅東口にも数日修行した暖簾分けの店ができて、すぐに閉店してしまったことを覚えています。そういうこともありました。
看板メニュー「特製もりそば」は、修業先のまかないから生まれた。調理して余った麺を1本、2本と丼に集めて、湯飲みにつゆやタレを入れてつけてざるそばのように食べていた。独立後もまかないとして食べていたところ、常連客が「食べさせてほしい」と要望。
「つけ麺」は、こうして生まれたのでね。独特な甘酸っぱいスープは、カップ麺で食べても美味しかったなぁ。
心よりご冥福をお祈りいたします。
▼ラーメンより大切なもの ~東池袋大勝軒 50年の秘密~ [DVD]
■関連記事
▼大勝軒の創業者・山岸一雄さんが死去、80歳 (スポーツ報知) – Yahoo!ニュース
東池袋店は、区画整理の対象となったため、2007年3月に46年の歴史に幕を下ろしたが、1年後に旧店舗近くに復活。現在は弟子の飯野敏彦氏が2代目店長を引き継いでいる。