小林繁、死去

日本ハム小林繁投手コーチ突然死…57歳という記事より。

日本ハムの小林繁投手コーチが17日午前11時、心不全のため、福井市内の病院で死去した。57歳だった。

巨人、阪神で活躍した投手の小林繁氏が、心不全で急死しました。まだ、57歳の若さでした。

2009年からは、日本ハムで2軍投手コーチに就任していたそうです。前日にも元気な姿を見せていたそうで、突然の悲報となりました。

この日は午前6時30分に起床。8時ごろに「背中が痛い」と訴えたため、夫人がマッサージを施した。少し楽になった様子だったが、再び苦しみ出し、10時30分ごろに意識を失ったという。福井市内の病院に救急車で搬送されたが、意識を取り戻すことはなく、この世を去った。

それまで元気だったのですからね‥‥なんとも言葉もないです。

76、77年に18勝を挙げて優勝に貢献すると、79年には「空白の1日」とも呼ばれる江川事件で阪神に移籍し、22勝を挙げて最多勝となった。

小林繁氏というと、この「空白の一日」ですが、詳しく知らなかったので改めて江川事件 – Wikipediaで見てみました。

11月20日、江川はアメリカ留学を突如切り上げて緊急帰国。その翌日の11月21日午前に、巨人は江川と入団契約を締結。巨人側は「ドラフト会議の前日は自由の身分で、ドラフト外の選手として入団契約可能」と解釈し、ドラフト外入団という形で契約締結を決行する形となった。

「空白の一日」を利用した、強引な巨人入りだったのですね。そして、それを解決するために、ドラフトで江川を指名していた阪神が、巨人の小林繁とのトレードに応じることになる、と。

訃報に際し、江川は「小林さんに対して申し訳ないという気持ちは、僕の中ではまだ終わっていません」とコメントしています。

当時、監督だった長嶋茂雄氏は「正直にいうと、阪神へトレードになったことは、残念な気持ちでいっぱいです。現場の監督として悪いことをしてしまった、という気持ちがいまだに残っています」とコメントしています。

あまりにも早い死去。心よりご冥福をお祈りいたします。

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年は小林氏が1つ上で気心も知れ、外様組にしか分からない意気投合があった。「僕はパ・リーグからきたし、向こうは複雑な事情のトレードで来た。2人でよう寝坊したわ」。酒が進み、明け方まで野球談議することも度々あった。

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同夫人が救急車の出動を要請したが、救急車が到着した時点ですでに心肺停止状態。搬送先の病院で心肺蘇生(そせい)術が施されたが、午前11時ごろに死亡が確認された。心筋梗塞(こうそく)による心不全だった。

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午前11時には選手がグラウンドに集合し、佐藤2軍マネジャーから葬儀日程などが伝えられた。玄関に設けられた献花台の遺影に選手たちが次々と手を合わせ、2年目の右腕・谷元は「本当に寂しい」と涙を流していた。

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現役時代の小林さんは、右のサイドスローから繰り出す独特のカーブ、シュートを武器にプロ4年目の1976年から2年連続18勝を挙げるなど巨人の右のエースとして活躍。が、78年オフに勃発(ぼっぱつ)した「江川問題」に野球人生を翻弄(ほんろう)された。

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引退後はテレビのスポーツキャスターなどさまざまな分野へ挑戦。歌手としてヒット曲を出したり、俳優でも活躍。95年には「さわやか新党」を結成し、参院選の比例代表に立候補した(落選)。

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現役時代の79年には「亜紀子」で歌手デビュー。引退後は本格的に芸能活動を開始し、俳優、司会業などマルチな才能を発揮した。また、入団時の監督であった川上哲治氏の勧めで95年には「さわやか新党」を結成し、参院選の比例代表に立候補したが、惜しくも落選した。

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「突然の死でびっくりしました。今年から日本ハムで1軍のコーチになられるということで、また球場に行ったら、お会いするんだろうなとは思っていたんですけど…。大変残念です」

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