間寛平が前立腺がん告白も世界一周は継続という記事より。
マラソンとヨットによる世界一周「アースマラソン」に挑戦中の間寛平(60)が13日深夜、公式ブログなどで前立腺がんと診断されたことを明かした。だが、注射や薬でホルモン治療を続け、15日からマラソンを再開する。
マラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」にチャレンジ中の間寛平が、前立腺がんであることを明かしました。
ロサンゼルスでPSA値(前立腺特異抗体)の検査を行ったところ、高い数値を示した。前立腺炎の疑いがあるということで、抗生物質を処方され、その後もコロラド、ニューヨーク、仏・ルアーブル、チェコ・プラハでも検査を行った。痛みなどの症状は何もなく、数値は高めで安定していたが、昨年12月、イスタンブールで最高数値を示してしまった。
そして、イスタンブールで生体検査をしたところ、前立腺がんであることが判明したそうです。
トルコの泌尿器科の専門医、ニューヨーク在住の日本人医師、日本から駆け付けた日本人医師が話し合いし、注射と経口薬によるホルモン治療をすることになりました。
しかし、運動とがんは関係ないということで、アースマラソンは継続するということです。
がんが見つかり、本来ならマラソン中止の判断に傾くところだが、寛平は走ることを決断した。また、昨年5月に、がん性リンパ管症で死去した歌手忌野清志郎さんへの思いもある。
「僕以外にも大変な病気の方もいてると思うんですけど、みんなも頑張ってください。僕も頑張ります」と間寛平。
アースマラソンのサイトにビデオメッセージがあります。
間寛平より皆様へというエントリーで、本人のコメントのテキスト版、スタッフからの説明を読むことができます。
この医療的見解が出たところで本人、間寛平が希望し決断したのは、このホルモン療法を受けながらアースマラソンという自分の夢、挑戦を続けたいということです。
ここで気持ちを残してマラソンを中止するよりは、本人の意志と可能であるならば最後まで走り切った方が良いですよね「病は気から」ではないですが。
さらに「がんの転移はナシ!」というエントリーによると、
「ほぼない」というレベルをさらに調べ続けて「完全に転移は見ら
れない」という結論を医師団が出してくれました。
ということで、不幸中の幸いですが、がんの転移はないということです。
走り切って、元気に日本に戻ってきてください。RUN 寛平 RUN!
ネタフルで書いているアースマラソンのエントリーです。
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間さんは「ひょっとしたら死ぬんかなあと思った。でも、この病気と走ることは別もんやと聞いた。一日も早くゴールして、病気を治すように頑張って帰ります」とコメントしている。
寛平は「(検査の)1週間は本当に不安で、このままアースマラソンを続けられんのか、それともこの病気は治るのか、ひょっとしたら死ぬんかなぁと、いっぱい思いました」と心境を吐露。「薬を飲みながら、治しながら走れるということを聞き、めちゃくちゃうれしかったです」と胸をなで下ろした。
盟友との“約束”もある。同マラソンの応援ソング「RUN寛平RUN」「走れ何処までも」を提供したロック歌手・忌野清志郎さん(享年58歳)は、喉頭(こうとう)がんと闘病した末に昨年5月2日に亡くなった。寛平は当時、同マラソン公式ブログで「1日走りながらも涙が止まりませんでした。この挑戦を成功させることが、恩返しになる」と誓っていた。
昨年12月、イスタンブールでの検査で数値が急上昇。すぐに再検査を勧められたが、寛平はサンケイスポーツに寄せたコメントで「そのまま(首都の)アンカラに向けて走っていきました。アンカラをちょっと過ぎたところで1万キロで、それをどうしても達成したい、それが僕の1つの区切りやと思ったんです」と振り返った。
治療を行いながらのマラソン続行は問題ないとの専門医の診断を受け、15日からのマラソン再開を決意。今後は注射による治療と薬を飲みながら「アースマラソン」の完走を目指すことにしたもようだ。