不眠断食9日、不動明王と一体に 比叡山、堂入り満行というニュースをご覧になった方も多いと思います。比叡山無動寺谷の明王堂で断食・断水・不眠・不臥の「堂入り」の行をしていた千日回峰行者の釜堀浩元氏が、無事に9日間を満行したというニュース。実は、釜堀浩元氏が「堂入り」する前の晩に偶然にも延暦寺に宿泊しており、深夜にお会いしていたのです。
「千日回峰行」とは?
千日回峰行というのは、7年間1,000日をかけて山中を約40,000kmを歩くという修行です。地球一周分です。「堂入り」は700日を終えた行者が、明王堂にこもって不動明王と一体となることを目指す行で、9日間を断食・断水・不眠・不臥で過ごします。
天台宗のサイトに詳しい説明がありました。
千日回峰行は7年間かけて行なわれます。1年目から3年目までは、1日に30キロの行程を毎年100日間行じます。定められた礼拝の場所は260箇所以上もあります。4年目と5年目は、同じく30キロをそれぞれ200日。ここまでの700日を満じて、9日間の断食・断水・不眠・不臥の“堂入り”に入り、不動真言を唱えつづけます。
もしも失敗したら、死出紐と降魔の剣で自ら命を絶つという覚悟で、死装束を着ています。まさに、命がけの行なのです。
「千日回峰行」の行者に会えた奇跡
今回、この「千日回峰行」の700日という節目に延暦寺会館に宿泊していたのは、全くの偶然でした。招待して下さった延暦寺振興会議の方たちも当日まで知らなかったようで「深夜2時過ぎに行くと会える」ということを教えて頂きました。
もう、これは絶対にお会いするしかないと思い2時まで起きて、闇夜をくぐり抜けて行者に会えるという場所に向かいました。
高感度で撮影したのでなんとなく明るく見えますが、実際にはお互いの顔も見えないような暗さでした。
こんな感じです。
他にも何人かの方がいらしていて、やはり阿闍梨に会うためにわざわざこの日を選んで宿泊しているという方々でした。
空には星が瞬いています。
行者さんはこちらから来ると思います、と教えて頂いた方向です。
そして、2時40分。ついに、その時がやってきました。
暗闇の中に明かりが見えます。その場にいた人たちに緊張が走ります。場の空気がシュッとひきしまったのが分かりました。
腰に明かりをつけた白装束の男性が歩いてきます。広場の周囲を、何箇所も少しずつ拝みながら小走りに移動していきます。
10箇所くらいでしょうか、ひとしきり終わると我々の前に立ちました。他の方たちを真似、ぼくも膝間付き、頭を下げました。
行者さんは一人一人の背中を杖でトントンと叩き、短いお経でしょうか、言葉と共に加持を頂きました。
全員にそれが終わると、行者さんは次の場所に飛ぶように歩いていきました。1日30km、なんという過酷な行なのでしょうか。
明かりをどうしているのだろうと思っていたのですが、腰に小さな提灯のようなものをつけていました。中がチラリと見えたのですが、光源はロウソクでした‥‥。本当にわずかな明かりだけを頼りに、真っ暗闇の山道を歩く行は、昔から受け継がれているものなのですね。
今回の「堂入り」を終え、釜堀浩元氏は不動明王と一体となった「当行満阿闍梨(とうぎょうまんあじゃり)」となり、信仰の対象となったそうです。
そして、釜堀浩元阿闍梨の今後ですが、6年目、7年目は次のようになっています。
6年目は、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日。7年目は200日を巡ります。前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、比叡山山中の他、赤山禅院から京都市内を巡礼し、全行程は84キロにもおよびます。最後の100日間は、もとどおり比叡山山中30キロをめぐり満行となるものです。
1日84kmとは‥‥想像しようもない、とてつもない行が待っています‥‥。
全くの偶然だったのですが、貴重な体験をすることができました。ちなみに、この日を狙って宿泊していた方たちは、ネットで情報を得ていたそうですよ。
写真は「FUJIFILM X-T10」で撮影しています。
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