サッカー日本代表、中田英寿が現役引退を発表することを、自身の「nakata.net」で発表しました。「人生とは旅であり、旅とは人生である」と題した文章の中で、サッカーへの思いを綴っています。
ブラジル戦のあと、涙をかくすようにブラジルのユニフォームを頭からかぶり、ピッチに横たわっていた中田選手。“最後”を強調していたので代表引退と誰しも思ったはずですが、現役引退を決意していたようです。
確かに4年後は33歳です。全盛期の力でワールドカップを迎えることはできないでしょう。オシム監督により若い世代が引き上げられようとする中、中田英寿なりの美学で最後を飾ったといえるでしょう。
カズのように現役にこだわる選手もいれば、ヒデのように美学にこだわる選手もいる。一つ言えることは、サッカーは中田英寿にとってかけがえのないものですが、彼の長い人生における一つの通過点だった、ということです。それは悪い意味ではなく。
最後に、中田英寿の残したものは大きかったですね。必ず、中田英寿を超える選手は現れると思いますよ。
▼中田語録
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次回2010年南アフリカW杯では33歳となることから、ドイツ大会後の「代表引退」がうわさされていたが、今回の突然の「現役引退」発表で、代表だけでなくサッカー選手としてのキャリアにも終止符を打つことになった。
中田はHPで「半年ほど前からこのドイツW杯を最後に約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。プロサッカーという旅から卒業」と明かし「子どものころに持っていたボールに対するみずみずしい感情は失われていった」と理由を説明した。
ロイター通信は「日本で最も有名なサッカー選手が引退」と報じ、中田英が所属するボルトンのアラダイス監督の談話を報じた。
98年フランス大会(3試合0得点)、02年日韓大会(4試合1得点)、06年ドイツ大会(3試合0得点)と、日本の出場したすべてのW杯本大会のすべての試合に出場した。その3回目の世界への挑戦は、無惨だった。最後と決めていた大会で、中田英のキャリアは終わった。
中田選手は山梨・韮崎高時代から注目を集め、1995年にJリーグの平塚(現湘南)入りした。97年5月の韓国戦で日本代表にデビューして以来、代表として通算77試合に出場。攻守の要となるポジションで日本のエースとなった。