吉野紗香が、自身のブログの「明けましておめでとう!と報告があります。」というエントリーで、年末に父親が他界していたことを報告していました。
「皆さん昨年はどんな年でしたか?」と書き出しつつ、次のように報告しています。
早く新年の挨拶をしたいと思っていたのですが、実は年末父が亡くなり色々と忙しくて遅くなってしまいました。
年末に亡くなったということは、まだ日も浅そうです。父親と写したという、最後の写真もブログには掲載されていました。
頭が良くて純粋で優しくて超面白い私の大好きなパパが、この世から居なくなってしまったのは寂し過ぎるけど、パパは最後まで頑張って生き抜いたから、嬉しいです。。
親を亡くしたというのは人ごとではないというか、ぼくも母親がこの世からいなくなってからそろそろ2ヶ月が経とうとしているのですが、なんというか、不思議な感じがします。
もう絶対に二度と会えることはないのですが、この「絶対」というのを、これほど強烈に感じたことはありません。
1億積もうが10億積もうが100億積もうが「絶対」に、母親は戻ってこないのです。
世の中にこれほどまでに絶対的な「絶対」があったなんて。
仕事場に向かう途中、ふと母親のことを考えています。
告知を受けたとき、どんな思いだったのか。果たして治療は最適だったのか。何か言い残したことはなかったのか。どこか行きたいところはなかったのか。会いたい人はいなかったのか。
仕事場に行くときだけでなく、とにかく折にふれ、何をしていても母親のことが頭をよぎることがあります。母親だったら「どうだったのか?」ただただ答えのない疑問が頭に浮かびます。
一方で、なんとなくどこかにいるような気もします。もう「絶対」にいないはずなのに。
生きていれば時間は「絶対」に流れてゆくけれど、しかししばらくは過去を振り返り続けるという、時計が止まったような感覚が続いていくのかもしれません。心のカレンダーは2007年11月のままです。