大林宣彦監督、肺がんで死去

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映画監督の大林宣彦氏が、2020年4月10日に肺がんで死去しました。82歳でした。映画監督の大林宣彦さん 肺がんで死去 82歳という記事になっています。

映画「転校生」や「時をかける少女」など、若者たちの情感をみずみずしく描いた作品で人気を集め、晩年まで反戦を訴え続けた映画監督の大林宣彦さんが、10日夜、肺がんのため東京都内と自宅で亡くなりました。

大林宣彦監督というと、自身の故郷である広島県尾道市で撮影した「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の「尾道三部作」が有名です。

当時、日本ではまだ珍しかったCMディレクターとして活躍してから映画の世界へと転身したのですが、CMディレクター時代の逸話がすごいです。

大林宣彦 – Wikipediaによると、日本で初めてハリウッドスターを起用し、あまりのヒットに社名を変更したのが、チャールズ・ブロンソンの「マンダム」だったそう。「うーん、マンダム」は記憶に強く残っていますが、社名を変更するほどだったのですね。

尾道を旅行した時は、やはり「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の面影を追いかけましたよね。この「尾道三部作」の影響で観光客も増えたそうです。

2016年8月に余命3ヶ月の宣告を受けるも、映画製作を続けていました。心よりご冥福をお祈りいたします。

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従来の撮影所から育った映画監督ではなく、CMディレクターとしてチャールズ・ブロンソンを起用した「マンダム」のCMなどを手がけ、77年に「HOUSE ハウス」で商業映画の監督デビューを果たす。当時としては異色の経歴だったが、ファンタジーあふれる表現力で映像の魔術師と呼ばれた。

東京新聞:大林宣彦監督死去 82歳「時をかける少女」:社会(TOKYO Web)

晩年は「この空の花~長岡花火物語」「野のなななのか」「花筐(はながたみ)/HANAGATAMI」の戦争三部作など、第二次世界大戦を振り返り、平和の大切さを訴える作品が中心になった。