映画監督の市川準さんが死去、59歳という記事より。
CM界出身で「トニー滝谷」などの映画で知られる映画監督の市川準(いちかわ・じゅん、本名純=じゅん)さんが東京都渋谷区の病院で死去したことが、19日分かった。59歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
CM演出家としても数々の作品を手がけた、映画監督の市川準氏が脳内出血で急逝されました。59歳の若さでした。
“CM演出の天才”市川準監督59歳で急逝によれば、五反田のスタジオで最新作の編集作業をし、一人で食事に出かけたレストランで倒れ、救急車で運ばれた病院で亡くなったのだそうです。
「私はコレ(小指)で会社を辞めました」のコピーでおなじみの「禁煙パイポ」や「亭主元気で留守がいい」などユニークな内容で話題を呼んだ「金鳥 タンスにゴン」など400本以上のCMを送り出した。
よく覚えています。他にも、エバラ焼肉のたれ、ヤクルトタフマン、デューダなどのCMも手がけています。
ご冥福をお祈りいたします。
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俳優・長塚京三の話 「寝耳に水で、なんと申し上げていいのか分からない。言葉もない。ウイスキーのCMで一緒に仕事をさせていただいて『映画を一本やろう』という話になり、『東京夜曲』を撮った。都会的で繊細な中にも頑固な一面があった。ウマが合い、仕事をとても楽しくやれた。また仕事の声を掛けてくれるのかなと思っていたのに…」
1987年に映画「BU・SU」で監督デビュー。現代感覚にあふれた独特の映像表現で注目され、「会社物語」「病院で死ぬということ」「東京夜曲」「竜馬の妻とその夫と愛人」などの話題作を相次いで発表した。
CM制作会社勤務を経て昭和57年にフリーに。「わたしはコレで会社を辞めました」というコピーが一斉を風靡(ふうび)した「禁煙パイポ」をはじめ、「タフマン」「ぽん酢しょうゆ」など手がけたCMは多く、いずれも強烈な印象を残した。