不満を抱えながらもiPhoneから離れられない理由という記事より。
iPhoneと一般的な携帯電話の関係が、何かに似ていると思っていたのだが、’80年代後半から’90年前半ぐらいまで議論のあった、ワープロ対パソコン(PC)の構図に似ているように思う。
日本の携帯電話ユーザにとっては、スタイルが全く違う「iPhone」が使いにくいのは当たり前なのだ、という話から、パソコンとワープロ専用機の構図が持ち出されているのですが、確かに汎用機と専用機ですね。
メーカーが利用シナリオを用意し、さまざまな機能を提供していたワープロ専用機に対し、携帯電話キャリアが新機能やサービスの枠組みを決めている一般的な携帯電話というのは、実際、かなり似た状況にあると思う。
携帯電話キャリアから打ち出される新機能にピンとこない人にとっては「iPhoneは魅力的な道具」になる、と。
ぼくも携帯電話ならではのコンテンツに触れたことがほとんどないので、専用サイトが見られないと困るとか、おサイフケータイがないから不便とか、そういうことを一切感じないのですね。ちょっと特殊かもしれませんけど。
逆に、いかようにも変化する「iPhone」の自由度の方にひかれてしまうのです。
普段から使っているメールやスケジュールなどへのアクセス、それにWebブラウザとRSSリーダが読めることの方がずっと大切だ。加えてパソコンでも使っている各種ネットワークサービスへのアクセスも、携帯電話から使いたい。
指でサーッとスクロールさせてウェブを眺めたり、Google Docsのドキュメントをスルスルと確認したりというのは、やはり「iPhone」ならではなのかな、と。
だから「iPhone」は電話ではなく、あくまでも「携帯型端末(おまけで電話機能付き)」なのだと思います。何を求めるかによって、便利だったり不便だったり。
確かにリリースされたばかりで使いにくい面もあるので、それこそマルチタスク機能のなかった漢字Talkのようなところもあるので、決して万人にお勧めする端末とも思っていません。
しかし「これほど未完成な携帯電話を使ったのは、何年ぶりなのかも思い出せない」としつつも、
そんな最悪の体験も吹き飛ぶぐらい、iPhoneには自由がある。好きなアプリケーションをインストールし、インターネットをフルに活用できたなら、パソコンを持ち歩くのに匹敵するリッチな情報へと簡単にアクセスできる。
というあたり、本当に同感です。不便なんだけど、それを補ってあまりあるものがあるんです。このワクワク感は「iPhone」でないと、ぼくは得られません。
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