長沼健、死去

長沼健氏死す…日本サッカー最大の功労者という記事より。

日本代表監督として68年メキシコ五輪の銅メダルに導き、日本サッカー協会会長時代には02年W杯の日本招致を実現させた長沼健(ながぬま・けん)氏が2日午後1時15分、肺炎のため都内の病院で死去した。

日本サッカーの功労者である長沼健氏が亡くなりました。なんと32歳で日本代表監督に就任し、メキシコオリンピックで銅メダルを獲得したのだそうです。

レッズサポーターには、埼玉スタジアムの場長としても、馴染みがあるでしょうか。キャッシュですが、在りし日の面影を。

場長に菊。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

■関連記事

浦和・藤口社長も絶句「早すぎる」

「最後に会ったのは(4月13日の)鹿島戦だったかな。77歳は早すぎる」

元日本サッカー協会会長・長沼健氏が死去

関西学院大、中大を経て55年、実業団サッカーの古河電工(現J1千葉)入り。日本代表には中大時代から選ばれ、日本がW杯予選に初参加したスイス大会予選、54年の韓国戦に出場し第1戦で日本唯一のゴールを決めた。

日本サッカー協会元会長、長沼健氏死去

平成6年から10年まで日本協会会長を務め、在任中、平成14年のワールドカップ(W杯)日韓大会共同開催が決まった。