浦和一筋12年・永井が清水へ完全移籍という記事より。
清水が元日本代表FW永井雄一郎(29)=浦和=を完全移籍で獲得することが6日、分かった。この日までに清水と永井の移籍交渉が基本合意に達し、今週中にも「清水・永井」誕生が正式に発表される見通しとなった。
ついに浦和レッズ・永井雄一郎の清水エスパルスへの完全移籍が発表される見通しとなりました。
本人も移籍を志願し、神戸と清水が興味を示しているという話も出ていたので、そう遠くないとは思っていましたし、30歳になるので環境を変えた方が本人のためにも良いのでは、と思っていたのですが。
いざ、決まるとなると思いは複雑ですね。
生え抜きの選手ですし、9番を背負っている選手ですし、何よりあのドリブルが好きでしたし。
2007年ACLではMVPを獲得するほどの活躍を見せましたが、2008年はゲルトとの確執から干されることも。
転機は昨季終盤に訪れた。ゲルト・エンゲルス前監督との確執が表面化し、クラブの方向性の欠如を公然と批判。その後は出場機会を失い、昨年末には年俸ダウン提示を受けていた。
いくら自分が頑張っても、常にFWとしては2番手3番手であり、しかもクラブは高原やエジミウソンを補強するという有様。
ほとほとそういう処遇に嫌気がさした、といっても過言ではないのではないかと思います。「戦術練習をほとんどしない浦和に不満を持ち」と記事にも。
浦和レッズのFWには田中達也もいるし、今後を考えると環境を変えるというのは選択肢の一つだったことでしょう。
既に清水エスパルスとは複数年契約で合意に達しており、永井も関係者には「清水に行く」と話し、都内の自宅も引き払う準備をしているということです。
永井は98年途中に独・カールスルーエに1年間武者修行に行ったものの、レッズ一筋12年。小、中、高校時代は浦和の母体・三菱自動車も傘下の三菱グループが設立した三菱養和でプレーしてきた。まさに浦和とともにサッカー人生を歩んできた。
正直、プレイの最中に上を向く、あのクセは好きじゃなかった。もっとボールを追えよ、といつも思った。背番号9に押しつぶされているような気もしていた。
本人が必死でもがいているのは分かったけど、もがいても、気持ちはどんどん浦和から離れていくような気がしてならなかった。孤独だったんじゃないか。
今シーズンは監督が変わることで選手の序列も変わるはずでしたが、もうそこにチャレンジする気持ちはなかったということですね。
悲しいけど、これが現実です。
引退しても浦和に戻ってくることはないような気がする。
さらば、永井雄一郎。
追記:
オフィシャルにも永井雄一郎、清水エスパルスに完全移籍というリリースが出ました。
「レッズで10年間やってきてこういう形で去ることになりましたが、自分にとっては次のステップにつながる移籍だと思っています。レッズで今までプレーできたことを嬉しく思うし、今まで応援してくれたファン・サポーターの皆さんには本当に感謝しています。今まで苦しいときも全力で力を与えてくれてありがとうございました」
▼浦和レッズのしゃべり場〈5〉永井雄一郎 満足しないフォワード (浦和レッズのしゃべり場 (5))
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浦和は慰留したが、永井本人の意思が非常に固いため、今年に入って移籍を容認。最大で2億円(金額は推定)の移籍金が必要となっているが、今後の清水側との交渉では金銭的に譲歩する姿勢もあるという。