大江千里のインタビューが心にしみた「ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らすんだな」

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大江千里、47歳で始めた僕の「ライフ・シフト」というインタビュー記事が心にしみました。いつか自分の生き方の支えになるような気がしたのでメモ代わりに。大江千里が40代後半からジャズミュージシャンに転向したのは知っていて、さらには関連する記事も読んだことはあったのだけれど、売れっ子からそうでなくなり、全てを捨てて単身でニューヨークに渡ったという話のなかに、かなり痺れるエピソードがありました。

ライブが大きいですね。ジャズのアルバムも、毎月少しずつ売れています。毎月売れるってすごくないですか? もちろん、日本のバブルの頃に入ってきた額とはケタが違うんだけど、僕にとってはそれ以上に意味のあるおカネのような気がします。

アラフィフと呼ばれる頃。ぼくも仲間入りしたので、拝読しながら色々と思うところがありました。

自分でレコードレーベルをやっていること、欧米でツアーをしていること、小室哲哉の会見を見て「てっちゃんはにっこり笑うとかわいいんですよ。それなのに笑わないで、悲しさや苦渋をかみしめた顔をしていると、見てるほうも本当につらい」と思ったことなど‥‥。

特に人気の絶頂まで上り詰めた後の話は必読です。

『APOLLO』(1990年9月発売のアルバム)を出してオリコンランキング1位を取った直後ぐらいに、ライブツアーの会場で不思議な光景を見たんです。前回のツアーでいた人が、1列分ぐらいいなんです。地方の公演でしたね。あれ? 今オリコン1位なのにどうしていなくなっちゃったんだろう?って。ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らすんだな。これは覚悟しなきゃいけないときが来るんじゃないかな、って直感しました。それが見えたのは、僕だけだったんですよ。

オリコン1位になったのに、いつものファンがコンサート会場にいないことに気づき、それはヒットすることは元からいたコアなファンが去っていくことを実感したという時代。ある意味では人気の坂を上り詰め、後は下っていくだけの状態とも言えるでしょう。

人気者にならないと見えない世界がありますし、それはとても良いことだと思います。でもそれは必ず頂点で、いつかそこから緩やかにおりていかなくてはならない日がやってきます。その時に、自分には何ができるのか?

おかげさまで「プロブロガー本」がヒットし、その前後の数年間は毎年3冊くらいは書籍を出版していましたが、今は年に1冊程度に落ち着いています。ブログのPVだってゆっくりと右肩下がりです。そういう意味では、ぼくも人生のもっとも良い時期を過ぎ、いま緩やかに下り坂をくだっているのだと思います。

ただでも、それがイヤかというとそうでもない。若かった頃には見えなかったものが見えるようになった気がするし、気づけなかったことに気づけるようにもなった気がしますから。それがもしかすると、人生が豊かになっていくということ、老いとともに獲得できる素敵な感覚なのかもしれないな、と。

年を取ってくればいろんなことを経験しますから、感覚も繊細になって、何を見ても涙がこぼれるみたいなことにもなのますよ。なんにでも共感してしまう。この感覚って、若くて尖っていた頃には知り得ない感覚でした。

そういう意味では、若い頃は「大江千里なんて‥‥」なんてカリカリして、きちんと聴けなかったなぁ。今だと「Rain」とか大好きで、カラオケで必ず歌いますけどね。

大江千里は47歳にして、ニューヨークに渡りました。そこまでにはぼくもまだ時間はありますし、大江千里と同じように「若い人に話をして欲しい」と依頼をもらい、ここ数年は名古屋の大学で年に一度、お話をさせて頂いています。今年の夏はさらに、修学旅行で東京にやってくる高校生にも話をすることになりました。

息子ほどの世代の子供たちにいったい何を話せばいいんだろうとも思いますが、正直にあるがままを語るしかないかなぁ、なんて思っています。たくさんある人生のワンオブゼムとして。

いろんな人がいろんな年の取り方をするけれど、それをみんながシェアしたら、みんなが勇気づけられるのかもしれないなぁ、なんてことも思いました。もうさ、ギラギラしないじゃん? ごはんもたくさん食べられないじゃん? ああ、歳を取ったなぁ、なんて思うじゃん?

でも大江千里が言うように「人生って、時々休んで思い切り羽を伸ばせて、話を聞いてくれる最高な仲間が1人でもいたら、十分なんとかやっていける」って思うんですよね。

以上、いいなぁ、こんな歳の重ね方をしたいなぁ、と思う記事でした!