カンニング中島さん力尽く…急性リンパ球性白血病 早すぎる35歳という記事より。
中島さんは家族に見守られながら静かに息を引き取った。最後まで竹山とのコンビ「カンニング」復活の意欲を捨てることはなかったという。約2年に及ぶ闘病生活だった。
2004年から急性リンパ球性白血病で闘病を続けてきた、カンニング中島忠幸さんが亡くなったそうです。骨髄移植を受けて、一時は退院できるまでに回復していたのですが、体調を崩して帰らぬ人に。まだ35歳でした。
中島さんは竹山と92年に「カンニング」を結成。竹山の“キレ芸”に対して「暴走を止めるのはウチの相方しかいない」(竹山)と、適当になだめる絶妙なツッコミでコンビを支えてきた。
2004年に結婚して同じ年に長男が生まれたばかりだったので家族が心配です。家族も心配ですが、相方の竹山隆範も心配ですね。
コンビを組んで15年。中島さんとは小学校1年から一緒に過ごしてきた。中島さんが倒れた後は1人で仕事に臨んでいたが、コンビとしての意識は持ち続け、ギャラも“2人分”として治療費に充て、懸命に闘病をサポートしていた。
小学生の頃からの友人なのですか‥‥。キレ芸を得意とする竹山隆範ですが、見えないところで相方のサポートをし続けていたのですね。
闘病2年、カンニング中島さんが死去…白血病ウイルス性肺炎ででは、
竹山の相棒思いは有名で、竹山には交際10年を超える彼女がいるが、中島さんの復帰までは結婚しないと関係者に宣言していた。また、中島さんの高額な治療費を一部負担していたという話もある。
とも報じられています。
中島忠幸さんは家族に看取られながら、息を引き取ったそうです。ご冥福をお祈りいたします。
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「カンニング」が所属するサンミュージックの相澤正久社長は20日夜、スポニチの取材に「肺炎をこじらせた後は人工呼吸器を付けたままだった」と説明。2日前に急変し、最期は真奈美夫人らに見守られて息を引き取った。
92年に竹山隆範さん(35)とコンビを結成し、バラエティー番組などで人気を博した。04年12月から急性リンパ球性白血病で休業していた。
中島さんは竹山隆範とのコンビで長い下積み生活の末に人気者となったが、04年12月末に急性リンパ球性白血病で入院。入退院を繰り返しながら闘病生活を送っていた。