勝てばACL出場権を獲得できる試合だったのですが、残念ながら2014シーズンのACL出場は逃しました。守備崩壊。2-5での大敗です。背番号「6」山田暢久がベンチ入りした最後の試合になりました。
試合に関しては、まあ終わったことですし、振り返らなくても良いですよね。
マフラーの海 #urawareds http://t.co/9YWqRqNvm4
— コグレマサト (@kogure) 2013, 12月 7
ファーストインプレッションではスタジアム全てのサポーターが立ち上がり、マフラーを掲げて選手を迎えました。
ファーストインプレッション #urawareds https://t.co/ZQe8iM0oYa
— コグレマサト (@kogure) 2013, 12月 7
赤き血のイレブン #urawareds https://t.co/1nvtW2lKtz
— コグレマサト (@kogure) 2013, 12月 7
守備練習をしないと言われるミシャ監督ですが、来シーズンはそこだけはビシッとお願いしたいと思います。得点力はあるのですから。サンフレッチェ広島から西川を獲得しておしまい、とかにしないで欲しいです(獲得できない可能性も高そうですし)。
▼2013Jリーグ、6位に終わる|URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE
試合終了後には1年間の感謝を込めてのセレモニーが行われた。冒頭に橋本代表が挨拶を述べると、今季限りでチームを去る永田拓也、野田紘史、山田暢久へと花束が贈られ、3人からもファン・サポーターへ感謝の言葉を残した。最後は長きにわたったシーズンの応援への感謝の気持ちを込めてチーム全員でゆっくりと場内を1周。北ゴール裏スタンドには、レッズで20年間プレーした山田暢久へ向けてのコレオグラフィーも作られ、最後まで温かいサポートの気持ちを受けてピッチを後にした。
橋下社長の挨拶ではブーイング。横断幕が掲げられました。
運任せの弱気な監督 内部昇格のGMに俺達の夢は本当に託せるのか?来季は結果で示せ! #urawareds http://t.co/sbIUHWIE93
— コグレマサト (@kogure) 2013, 12月 7
浦和を去る選手たちから挨拶。
永田、まだまだ頑張れ!浦和の子! #urawareds http://t.co/Zswxi7L35J
— コグレマサト (@kogure) 2013, 12月 7
野田「笑顔で別れることができないのが悔しいが、来年は良い結果が出せると信じている。いつまでも浦和の誇りを胸に」 #urawareds http://t.co/Xd4InhtyPb
— コグレマサト (@kogure) 2013, 12月 7
山田暢久「20年間ありがとうございました。みなさんと沢山の歴史を刻めたことがぼくの誇り。丈夫に産んでくれた両親のおかげ。支えてくれた家族友人仲間スタッフ、いい時も悪い時も声援してくれたサポーターのおかげ」 #urawareds
— コグレマサト (@kogure) 2013, 12月 7
山田暢久「こういう形でチームを去るのは悔しい。もう浦和レッズのユニフォーム着られないのは寂しい。これから先のことは悩んでいる。ただ言えることは浦和レッズが大好き。20年間幸せでした。ありがとうございました」 #urawareds http://t.co/piBG7q8iC3
— コグレマサト (@kogure) 2013, 12月 7
北ゴール裏からは、山田暢久に惜別のコレオ。
山田暢久、惜別のコレオ。1994-2013♡6
#urawareds http://t.co/nXfcdXUWra
— コグレマサト (@kogure) 2013, 12月 7
そして、山田暢久のチャントが。
アーレーやまだー #urawareds https://t.co/v4MDr7K2qn
— コグレマサト (@kogure) 2013, 12月 7
あと1〜2年は山田暢久を浦和レッズで観られるのでは、と思っていたし、クラブも浦和レッズで引導を渡すのでは、と思ってた。思っていたけど、甘かった。ここはプロの世界だった。
まだプレイ出来そうと惜しまれつつ去る、というのも一つの姿ではありますが。
(ゴール裏のヴィジュアルや応援チャントをどう受け止めた?)挨拶の途中で見えました。去年、達也のを見ていますし、ああやって自分のをやってもらえると嬉しいですよね。チャントは照れ臭いですね(笑)。いつ終わるんだろうと思いながらどこを見ていいのか…。聞けるのもこれで最後ですからね。
オーロラビジョンに映し出される山田暢久は、途中から「こんな時、どんな顔すればいいんだろう」みたいな顔をしていて、実に山田暢久らしい最後でした。
かつては山田暢久の背番号が「2」だったと知る人はどのくらいいるのでしょうか。かつては山田暢久の主戦場が右サイドバックだったことを知る人はどのくらいいるのでしょうか。それほど長い時間です。20年。何かを20年やり続ける、ましてやそれがプロのサッカー選手であり、同じクラブであり続けるというのは、間違いなく偉業です。
“浦和”のレジェンドがまた一人、チームを去りました。
悲しいけれど、寂しいけれど、浦和レッズは続く。来シーズンは誰かが「6」を背負い、そして自分の色に染めるべく、努力を続ける日々がやってきます。
ありがとう、山田暢久。
■関連記事
▼『浦和レッズの山田暢久』という時代|コラム|サッカー|スポーツナビ
「浦和を出ようと思ったことはあるよ。ある、ある。でも、結局いろいろありながら20年経っちゃったからさ。ここまで来るとね、うん。ここで終える。そう考えることの方が自然だよね。それに今から他のチームのユニホームを着て、どれだけ気持ちを込められるのかが分からない。ここ20年は赤いのしか慣れてないから」