写真で振り返る2011年3月11日の記憶「万が一はある」

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2011年3月11日14時46分、ぼくは埼玉県庁そばの古い雑居ビルの5階にある仕事場にいました。いつもと違うただならぬ揺れに異変を感じ、部屋を飛び出し、廊下に出ました。

築数十年とビルが古いこともあったせいか、左右に大きく揺れ、もしかするとこのまま倒壊するのではないか、という不安にかられました。

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後日、撮影した写真ですが、壁には大きなヒビが入っていました。

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揺れている時は、家族の顔が頭に浮かびました。

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目の前で、床にもヒビが入りました。本当にビルが倒壊すると思った瞬間でした。

揺れが収まると階段を駆け降り、ビルの外に出ました。外には何人も人が出てきていました。

電話は繋がらない。Twitterは見られたので確認すると、地震に関するツイートが並んでいました。

とりあえず仕事場に戻り、PCだけカバンに詰めると、急いで家に向かいました。我が家も築60年だったので、こちらも心配でした。

相変わらず電話は繋がりませんでしたが、iPod touchを持たせていた次男からTangoでテレビ電話がかかってきました。家族の声を聞いて、安堵しました。

帰宅し妻と次男、隣に住んでいた父の安否を確認すると、長男がいる小学校に向かいました。

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途中、道路が陥没しているのを見ました。

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かなり地盤沈下したことが伺えました。

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水も出ているようでした。

小学校は子供たちが校庭に出ていました。幸いケガをしている子供もありませんでした。そのまま帰宅となりましたが、友人の子供の安否も確認し、Twitterで無事を伝えました。

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小学校の校庭には、ヒビがいくつも入っていました。

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これは確か近所のコンビニだったはず。

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コンビニもお休みになったんですよね。商品も棚から消えました。

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ぼくはといえば、震災直後からずっと震災関連の情報を発信するためにブログの更新を続けていましたが、ある夜、作業中に激しい胃痛が治まらなくなりました。

寝ようとしても痛みで眠ることができず、2〜3時間経過してもますます痛くなるばかりだったので、止むを得ず救急病院に行き、入院を経験しました。

恐らく原因はストレスですが、自分ではそれほどストレスを感じていないつもりだったのですが、目に見えないところでかかる負担があるということを改めて感じました。

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浦和レッズによる募金活動も行なわれました。

ぼくは普段は忘れっぽいのですが、3月11日のことだけは昨日のように思い出します。特に、仕事場で経験した揺れは忘れられません。目の前の大きな窓から見えた、樹齢100年は超えているであろう十数メートルある巨木が大きく左右に揺れる光景は忘れることができません。

ビル倒壊の恐怖を経験したことから、仕事場をより新しい物件に移しました。次に大きな地震があれば自宅も無事では済まないと思い、こちらも対処をしています。

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とにかく学んだことは「万が一はある」ということです。あの日も、10分前、いえ1分前まで、あんなことが起こるなんて思いもしていなかったのです。

「万が一はある」

激しい揺れを経験しただけのことであり、震災を経験したとは言えないのかもしれませんが、3月11日は、地震を経験した者として、改めて「万が一はある」ということを考える日になりました。

もう2年です。まだ2年かもしれません。3月11日に感じたこと、思ったこと、経験したことは、忘れません。

いろいろな意味で、まだ日常生活に戻れない方がたくさんいらっしゃることと思います。自分には何ができるのか? 微力ながら考え、実行していきたいと思っています。

東日本大震災に被災された方々にお見舞いを申し上げます。東日本大震災の犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。