2009年5月9日に、忌野清志郎“ロック葬”が行なわれました。以下に“ロック葬”の関連記事をまとめました。
▼ナタリー – 忌野清志郎告別式でヒロトら弔辞&バンド生演奏
この日の告別式は無宗教の“ロック葬”として開催。式場の外には巨大なうさぎ人形(バルーン)やTHE TIMERSのヘルメット、ライブでおなじみのコタツ、ファンによる千羽鶴などが飾られ、清志郎の代表曲が次々と流された。
▼甲本ヒロトさん弔辞(1)「あなたの思い出にろくなものはございません」
そんな一観客としての観客同士の共感を感じ、とても身近に感じた直後、あなたはポケットから何かを出されて、それは、業界のコネをフルに生かした、戦利品とでも言いましょうか、ピート・タウンゼントの使用するギターのピックでした。ちっともあなたは観客席の1人じゃなかった。ぼくがあまりにもうらやましそうにしているので、2枚あったそのうちの1つを僕にくれました。…こっちじゃねえや(ポケットの中を探る)…これだ。ピート・タウンゼントが使ってたピックです。
数々の冗談、ありがとう。いまいち笑えなかったけど。はは…。今日もそうだよ、ひどいよ、この冗談は。うん…。なるべく笑うよ。そんでね、ありがとうを言いにきました。清志郎、ありがとう。それから後ろ向きになっちゃってるけど、清志郎を支えてくれたスタッフの皆さん、家族の皆さん、親族の皆さん、友人の皆さん、最高のロックンロールを支えてくれた皆さん。どうもありがとう。どうもありがとう。
▼「みんなみんな清志郎さんのことが大好きです」…竹中直人さん弔辞(1)
なんでかまだ、ボーッとしています。身体も心もまだふるえています。お通夜の日、清志郎さんの寝顔をみたけど、別人じゃないかって思ってしまいました。でもとってもきれいな顔でした。とってもきれいな手でした。でもね、清志郎さん、僕たちはまだ信じられない思いでいっぱいです。
僕は清志郎さんに何もしていない。いつも自分のことばかりで。清志郎さんの髪が抗ガン剤で抜け落ちて、また生えてきたとき、清志郎さんはぼくに言ってくれましたよね。「竹中には絶対勧められないんだけど、抗ガン剤って、髪が全部抜けちゃうんだけど、そのあとに生えてくる髪が、剛毛なんだぜって」
清志郎さん、ボス、キング、ゴッド! ずっとずっと、僕たちは清志郎さんが大好きです。ずっと、ずっと…。ずっと! 清志郎さぁーん! またね!(と遺影に向かって左手を振り回す)
「ありがとうございました、と声をかけました。これからも清志郎さんの音楽を心の中で奏でながら僕もがんばりたいと思う」
「清志郎さんは、これから33年間はそばにいてくれているみたいですよ。亡くなった僕の母の33回忌のときに住職さんが『直人君のお母さんはずっとそばにいて、33年たったら月に帰っていく』って。だから大丈夫なんだ」
前日9日の葬儀にも参列。「葬儀所まで自転車で行きました。それが清志郎さんへの弔いになると思った」と鶴見。「自転車に対する愛情あふれる接し方を引き継いでいきたい」と誓っていた。
40曲以上の楽曲が流された斎場では、1990年代半ばの東京・日本武道館ライブで使用されたウサギのバルーン、「い・け・な・いルージュマジック」などのポスター、ファンから病床の清志郎さんに贈られた千羽鶴などが飾られた。
清志郎さんとの共作曲「帰れない二人」の歌唱前に、「寡黙でぶっきらぼうで、話すことで人を信用させるものを持っていた。まだ若いのに…本当に残念」としのび、同曲を熱唱。途中、感極まって声を詰まらせる場面もあった。
9日の葬儀式に妻の原由子(52)と参列した桑田は同日、TOKYO-FMの「桑田佳祐のやさしい夜遊び」(土曜午後11時)で「数えるほどしか会ったことがないけれど、ワクワクする人でした」と思い出を語った。番組の最後には「ぼくの好きな先生」を生歌で披露し、故人をしのんだ。
式には「サザンオールスターズ」の桑田佳祐(53)、原由子(52)夫妻も参列した。1986、87年の日テレ系「メリー・クリスマス・ショー」で共演した桑田は目に涙を浮かべ、原はハンカチで口元を覆い、無言で会場を後にした。
あなたを大好きな音楽の仲間たちの手によって、あなたがずっと言っていた、愛と平和の日が1日も早くくるようにリードしていってください。療養中も「何もすることがないから明るく引きこもっているんだ。でも結構楽しいんです」って、メールをもらいました。大好きなご家族と、優しい時間を過ごすことができてよかったね。これからもご家族を見守ってください。
時々空の上から「愛してあってるかい」って問いかけてください。「OK、BABY、最高だぜ」って答えられるように、あなたのように強く優しく、明るく楽しく生きていきます。
午後1時30分から始まったファン葬には、献花を希望する大勢の人が長蛇の列を作った。青山葬儀所を囲む人の波は次第に膨れあがり、最大で4キロに。その列は夜遅くまで途切れることはなかった。
最初にがんを克服したとき、三浦友和さんと3人で食事したとき、「竹中、俺、がんじゃなかったかもしれないな。今さらそんなこと言えないんだけどな」って言っていた。
▼甲本ヒロト弔辞 この冗談はひどい…でも、なるべく笑うよ…忌野清志郎さん葬儀
清志郎、あなたとの思い出にろくなものはございません。突然呼び出して知らない歌を歌わせたり、吹きにくいキーでハーモニカを吹かせたり、レコーディングの作業中にとんちんかんなアドバイスを連発するんで、そのたびに滞ったりして聞き流すのに必死でした。今、思えば全部冗談だったんだよね。
予想を上回る人出に、当初は午後6時で献花を締め切る予定が、午後10時50分まで延長。葬儀所の門が閉じられた後も約200人のファンがその場を離れようとせず、「雨あがりの夜空に」を大合唱した。音楽性ばかりでなく、生き方でもロックンロールを貫いたカリスマ。最後は自身の葬儀まで伝説にして、天国へと向かっていった。
俳優で歌手の及川光博(39)は「告別式もパーっとやった方が、キヨさんもうれしいと思う。最高のライブ」と振り返った。歌手サンプラザ中野くん(48)は「残念。僕の唯一のロックアイドルだった」と涙。
桑田はレコード会社を飛び越え、桑竹居助の偽名まで使い、RCサクセションが原発問題などを歌ったアルバム「カバーズ」にコーラスで参加した。
祭壇前で一緒に演奏したメンバーらと「追悼とか寂しいものじゃなく、ボスの歌が歌いたいから」と、「デイ・ドリーム・ビリーバー」などを熱唱した。アンコールでは、清志郎さんの大ファンだったマルチタレント宮藤官九郎(38)らもギターを抱えて、飛び入り参加。「雨あがりの夜空に」を大合唱した。
「いいか。清志郎のことを『死んだ』なんて言うんじゃねえぞ。年下だけど、すてきな人だし、大事なやつなんだ。みんなの前に絶対に連れて帰ってくるからな」。盟友の死。頭では分かっていても気持ちが認めない。認めたくない。
忌野清志郎さん追悼番組として10日午後11時半NHK総合で放映された「愛し合ってるかい?~キング・オブ・ロック 忌野清志郎~」の平均視聴率が4・7%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だったことが11日、分かった。
ここまで、ネタフルでは以下のようなエントリーを書いています。
▼忌野清志郎、死去
▼忌野清志郎の死にさまざまな声
▼忌野清志郎に“ぼくの好きな先生”が「よく頑張った。ゆっくり休め」
▼NHKが忌野清志郎の追悼番組を5/10と5/12に放送