浦和レッズ・マゾーラ「僕の夢はヨーロッパでプレーすることではなく、日本でプレーすることでした」

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浦和レッズに新加入した、マゾーラの加入会見が行われました。そこでマゾーラは「ずっと日本でプレーしたかった」とし、その理由をサンパウロで一緒にプレイしたワシントンから、ずっと魅力を聞いていたからと語りました。

その後、マゾーラは笑顔と共に日本語で「コンニチハ」と挨拶。今回の移籍に秘めた思いを熱心に、時間をかけて語った。また、その後に行なわれた質疑応答の終盤では「僕は話すのが結構好きなので、質問終わらせないで下さい(笑)」という冗談も飛び出し、ユーモア溢れるキャラクターの一端もうかがわせた。

この会見の様子を読んだら、もうマゾーラを好きにならずにいられない、そんな内容になっています。

ヨーロッパではなく、日本でプレイすることが夢だった、しかも浦和レッズでプレイしたかったというのは、本当にサポーター冥利に尽きるじゃないですか。

しかも、ワシントンの名前まで出てくるのです。

なぜかというと、僕は、ワシントン選手と一緒にプレーしていて、彼からずっと日本や浦和レッズの話を 聞いていて、その魅力をずっと感じてきました。浦和レッズの素敵なサポーター、スタジアムを満員にする力、そしてブラジルとの違いは、日本のサポーターは選手をけなしたりはしないということでした。

ワシ、本当にありがとう。マゾーラに、浦和レッズのDVDを見せたりしていたそうですよ。

きっと、ワシントンの影響で日本、浦和レッズに興味を持ってくれているのは、マゾーラだけではないのでしょうね。

「僕はブラジル人がなぜ日本に来て3年も4年 もプレーするのか、ずっと疑問に思っていたところもあったのですが、このチームに来て、やっとその理由が分かった気がします」とも。

「1年契約というのは、僕にとっては本当に寂しいこと」と語っているのですが、今回はレンタル移籍ということですが、ぜひとも結果を残し、2年、3年とプレイして欲しいですね。

そして、マゾーラという登録名について、こんな話が語られました。

マゾーラというのは、僕の父の名前だったんです。父がマゾーラで、僕はマゾリーニャだったんですが、僕が12、13歳の頃に父がなくなりまして、それから僕がマゾーラになったんです。父は僕が小さいときから、どこに行くときも僕とボールを抱えて連れていってくれました。父はよく冗談で『お前がもしヨーロッパでプレーしたらうれしい。お父さんは安心して死ねるな』と言っていたんですが、今僕が日本でプレーできていることを、父は上の世界で喜んでくれているのではないかなと思ってます。そんなふうに、マゾリーニャからマゾーラになった僕です

(´;ω;`)ブワッ

練習の様子がYouTubeで見られるのですが‥‥

テクニックも兼ね備えた選手です。