タモリ「恩人」赤塚さんとの別れ惜しむという記事より。
4日、本名の森田一義でコメントを発表し「私の恩人でもある赤塚不二夫氏が亡くなりました。この世界に入ろうとした時に突然私の前に現れてデビューのきっかけを作り、その後の物心両面での援助は肉親以上のものでした」と感謝した。
8月2日に肺炎で亡くなった赤塚不二夫氏に、タモリがコメントを発表しています。
赤塚不二夫に見いだされ、自宅マンションに招かれ居候生活を送ったタモリは「物心両面での援助は肉親以上のものでした」と綴っています。
同居した1年の間にテレビ局を紹介され、30歳でデビュー。タモリのブレーク後もよく飲み明かし、2人がふざけて見せるSMショーは新宿で人気だった。
「あれから32年。いろいろな出来事、場面が頭に浮かんでいます。先生ありがとうございました」とタモリ。
タモリ「肉親以上」赤塚氏にあらためて感謝によると「タモリが知人の悲報に際しマスコミに対応することはほとんどなく」ということなので、異例のコメントのようです。
月20万円ほど小遣いを与え、赤塚さんのベンツも乗り放題だったという。
なるほど、親以上の援助というのも頷けます。「赤塚さんは黒柳徹子(74)やテレビ局関係者らにタモリを売り込み、デビューを後押し」までしてくれたのだそうです。
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▼タモリ、赤塚不二夫さんへコメント「先生、ありがとうございました」
タモリが初めてテレビに出たのは赤塚さんの特集を放送した昼のワイドショー。赤塚さんは生放送当日にテレビ局にタモリを連れて行き、台本を自ら書き換えて出演させた。
早大時代、モダンジャズ研究会の仲間で、「タモリのオールナイトニッポン」のディレクターだったニッポン放送の近衛正通常務(62)が証言する。「高さんから『デタラメな4カ国語マージャンをやるやつがいる』と聞いて、『アイツ』だと思いましてね。番組に出したら面白いと思い、赤塚さんの家にいると聞いて電話したら、タモリ本人が出てきた」。