浦和レッズ 成功の11の秘密という記事より。
序盤戦を六位で終えたJリーグの浦和レッドダイヤモンズ。その人気を支えているのはサポーターの熱い支援だが、なぜここまでチームとして成功しているのか。
ぶぎん地域経済研究所の主任研究員である松本博之氏が、浦和レッズ成功の秘密を探ったそうです。ちなみに「ぶぎん」というのは武蔵野銀行のことで、この時点で既にローカルな話題です。
なんでそこまで浦和レッズが好きなのか、言葉で説明しろと言われると困りますね。自分でも理由がよく分からないのです。しかも選手はそれぞれ好きなんですけど、選手が好きというよりは浦和レッズというクラブが好き。
さらに誤解を恐れずに書くならば、サッカーが好きなのではなく、やはり浦和レッズが好きなんです。Jリーグにはそこそこ興味ありますけど、日本代表の試合になると、急激に関心度が下がって行く自分がいるのが分かります。
と、こんな調子なのですが、それはなぜなのか。
一つに松本氏は次のように分析しています。
Jリーグが誕生した当時、浦和のサッカーは停滞し、サッカーファンとしてのフラストレーションがたまっていて閉塞感に陥っていた。かつてサッカー王国といわれていた埼玉で、その時代を味わった三十—四十歳代の人たちが新しい浦和のサッカーシンボルとしてレッズをとらえたのが成功の一つだった
なるほど。成功の陰には、意外に年配の人たちがいたという訳ですね。
居酒屋で飲んでいる時におじさんおばさんがサッカー談義をしているのはもちろん、試合後に街を歩いていると「試合どうだった?」なんて声をかけられると、ああここはサッカーの街なんだな、と思いますね。
そしてもう一つが地理的要因。
「浦和は県庁所在地以外何もない町。町に対する愛着のない住民が多い土地柄で、レッズというソフトが浦和という町に目を向かせ、市民のアイデンティティーにつながった。そしてもともとサッカー民度の高かった浦和だけに現在の成功をもたらしている」
凄くしっくりきた。何もない街‥‥当たっているよね。特急が止まらないとか、いろいろ言われますけど、本当に何もない街なんですよ。だから正直、浦和レッズが誕生するまでは“浦和”に愛着を感じたことはありませんでした。
そういう意味では、浦和レッズが市民のアイデンティティーになっているのは間違いないと思いますし、それにより“浦和”に誇りを持つことができるのでしょう。
試合の際に「PRIDE OF URAWA」という人文字をつくることがあるのですが、まさに“オレたちの浦和レッズ”なんですよね。NIKEの広告じゃないですけど「浦和ほど、熱くなれることはあるか。」ってことなんです。
そしてもう一つ大切なのが、サポート。
「統一的な応援はおそらくレッズサポーターが初めてでしょう。その応援風景を見たい観客もいるし、毎年三千円の会費を払って自らサポーターズクラブに入会して応援に加わる人もいる。グランドという空間的要因をうまく利用してさまざまなタイプの楽しみ方を提供していることも見逃せない」
あのサポートがなければ、浦和レッズは成立しません。選手とサポーターが織りなす一体感。よく「勝たせる」と口にするんですが、スタジアムの雰囲気を作り上げて行くのがサポーターなんです。選手はそれに呼応する。
時には厳しくもあり、時には力にもなり。選手の気持ち、サポーターの気持ち、どちらが欠けてもあの雰囲気をつくることはできないでしょう。だから、浦和レッズにはサポートも重要な要素です。
子供の頃から浦和に住んでいるのですが、今となっては浦和レッズがあるから浦和を離れられない、と言っても過言ではありません。「浦和ほど、熱くなれることはあるか。」って聞かれれば「ない」と即答するしかないんですね。ちなみに、サッカー経験はないんですけど。