2017年8月31日に埼玉スタジアムで開催されたワールドカップ最終予選でサッカー日本代表がオーストラリアに2-0で勝利したことで、ワールドカップ出場が決まりました。しかし、その後の監督会見でハリルホジッチ監督が「オーストラリア戦の前に帰国しようと思ったこともあった」と明かしたことが話題になっています。「辞任か!?」と。
ハリルホジッチ監督、退任を示唆?「プライベートで大きな問題」ということで、辞任に言及されている記事があります。
個人的には、実は私は、プライベートで大きな問題がありました。みなさん、ご存じないかもしれませんが、私はその問題があることで、この試合を前に、帰ろうかなと思っているくらい、大きな問題です。ただ、それはサッカーと関係ないことです。
「退任を示唆するようなコメントを残している」として、この監督コメントが掲載されています。むしろ「(ジャーナリストの中には)中には私に早く出て行ってほしいと思っているひとがいるかもしれません。私は残るかもしれませんし、残らないかもしれません」というコメントの方が気になります。
この論調の記事を読んだ後だと、ハリル監督 試合前に帰国考えていた「家族の問題」 異例の会見 質問受けずには退任の話は出てませんが「代表チームの成績や日本協会との関係によるものではないとしたが、試合に関する質問すらも受け付けず」など、監督続行に問題があるのでは、という読み方もできてしまいます。
しかしJFAの田嶋幸三会長は「こういう勝ち方で決めてくれたので、ぜひロシアまでやってもらいたい」としています。ただ単年契約なのですね。
ここまで昨夜のニュースでしたが、一夜明けて「プライベートの大きな問題」の詳細が漏れ伝わってきました。ハリル監督親族末期がんだった、W杯指揮は不透明という記事になっています。
関係者によれば、親族が末期がんで闘病中だという。気持ちが高ぶったのか「もしかしたら、ここに残るかもしれないし、残らないかもしれないし」とも口走った。
親族の誰が病気なのかまでは分かりませんが、ハリルホジッチ監督しては思うところがあったでしょう。長谷部には打ち明けられていたようで「時に人生の中ではサッカーより大切なものもある。どんな決断も尊重したい」とコメントしています。よほど近しい人なのかもしれません。
試合前の論調は(サッカー日本代表にそこまで興味のないぼくにさえ)【本日決戦】四面楚歌。ハリルホジッチの「2つの問題点」のような、確かにハリルホジッチ監督の退任を望むような記事を見かけていました。それをハリルホジッチ監督も感じていたというところはあるでしょう。
恐らくJFA内部にハリルホジッチ続投派と、そうでない派閥があって、情報戦をしているのかな‥‥なんて思ってしまいますが。
でも2-0の勝利、しかもこのデータでの勝利ですから、まさにハリルホジッチ監督の戦略の勝利といって良いのではないでしょうか。
ポゼッションでは圧倒されながら、シュート数では圧倒する。ハリルさんと現代オーストラリアの志向の双方がよく出た前半。逆に日本がボールを持つようになると危ないかも。ショートカウンターでスコーンみたいなのは避けたい。そしてオーストラリアがポゼッション捨てて蹴ってくる時間帯の勝負が肝。 pic.twitter.com/pKYxx7BbsL
— 川端 暁彦 (@gorou_chang) 2017年8月31日
3バックでポゼッションしてくるオーストラリアにハリルが仕掛けた罠は、乾と浅野がオーストラリアの左右のDFにプレスをかけずあえてボールを持たせる。
乾と浅野は絞ってクサビのパスのコースを限定する。
コースを限定した上で無理に入れてくる縦パスは全て山口と井手口と長谷部で対応。— CACTUS HUGO (@Flower_and_Wind) 2017年8月31日
日本対オーストラリア ポゼッション33:66なのに シュート数 17:5って オージーのサッカー 完全にひと昔前の日本の、ドン引きされてパス回せるけどシュート撃てないサッカーやん
— 花咲森道 (@Hanasakumorimit) 2017年8月31日
ポゼッション!
(ポゼッションというのはボールの支配率のことです)
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▼ハリル監督息子が明かす…一家襲った壮絶な過去 – 日本代表 : 日刊スポーツ
目の前で友人が死に、父さんも護身用の銃が暴発して負傷したと聞いた。自宅も店舗も略奪と焼き打ちに遭った。幼い僕にも、あの時は完全に破滅しているように見えたよ。
僕が9歳の時にボーヴェ(93年、フランス2部)で監督業を再開できたけど、1年で退任。そこから3年間は無職だった。42歳で一から勉強し直すことになり、Bミュンヘン、ドルトムント、ユベントス、アヤックスで無給の”研修生”として、いつも1、2カ月ほど家を空けていた。各クラブの監督に頭を下げて密着し、指導者のノウハウを苦労して学んでいた。