高校選手権優勝した富山第一・大塚監督、ほぼ富山県出身の選手で優勝したことで「日本の育成も変わってくるんじゃないか」

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現在の国立競技場での最後の試合となった、第92回全国高校サッカー選手権の決勝ですが、熱い試合が展開されました。0-2で試合は決まったかに思われたところからの、富山第一の逆転勝利。シビれた人も多かったのではないでしょうか。大塚監督のインタビュー記事があったのでご紹介です。曰く、富山第一は富山県出身の選手で構成されているのが特徴だそうです。

大塚監督「日本の育成も変わっていく」|コラム|サッカー|スポーツナビです。

試合後の会見で富山第一の大塚一朗監督は、ほとんど富山県出身の選手で優勝したことについて「日本の育成も変わってくるんじゃないか」と語り、自身の考える育成方法について述べている。

一般的にスポーツが強いと「スポーツ推薦」という言葉を連想しますが、富山第一では「(大会登録メンバーの)25人は23人が富山から」ということで、ほとんどの選手を富山県出身の選手で構成しているそうです。対しての星稜は、ほとんど石川県の選手がいないと。

大塚監督によると、星稜は名古屋グランパスやジュビロ磐田、ガンバ大阪、セレッソ大阪のジュニアユースなど、クラブチーム出身の選手で構成されており、富山第一とは対称的なチームになっているということです。

どうして富山県出身の生徒達で構成しているのかということに関しては、自身がライセンスを取得した欧州の「親元から通うということをすごく大事にしています」ということが根底にあると話しています。これは「サッカー選手というより一人の人間を育てよう」ということを重視しているからなのだとか。

さらに富山第一では、障害者サッカーとの交流など、選手を育てるために色々な人が関わるということを大事にしているのだそうです。

大塚監督は「あれ(星稜のような方法)はあれで良いのかもしれませんし、どちらがいいのかは僕には答えが出せませんが」としていますが、地元選手で栄冠を掴んだ、という自負はあるのでしょう。

地元選手というと、埼玉県代表として高校選手権に出場した市立浦和は公立高校です。どんな中学校を卒業しているのかと思って調べたら、多くの選手はクラブチーム出身でした。公立高校でもありますし、あまり遠方からの生徒は受け入れてないと思いますが。

CHONANが小学5年生でサッカー少年団に所属しているから分かったことなのですが、上手な子供たちは、やはり小学生年代からJクラブのジュニアを受け、そちらに移っていきます。浦和だと浦和レッズ、大宮アルディージャ、柏レイソル、横浜マリノスあたりも通える範囲になるようで、本当に上手い子供たちは地元を離れてしまう場合もあるでしょう。そういう意味でも「地元選手を育てて勝つ」という大塚監督の言葉に共感するところはあります。

浦和レッズしか知らない頃は、Jリーグ至上主義とでも言いますか、やっぱりプロを目指すことが素晴らしいと思っていたのですが、子供がサッカーをやり、自身が40歳になってフットサルを始めると、それは違うんだろうな、ということに思い至るようになりました。プロにならなくって、色々なサッカーの楽しみ方がある訳ですね。もちろん、プロサッカー選手を目指すのは素晴らしい目標ですが、サッカーをプレイする意味はそれだけではないな、と。

どんどん上に引き上げられていく子供たちがいれば、一方では全くそんなことに関われない子供たちもいて、でも、みんな一生懸命にプレイしている訳ですね。高いレベルでプレイできることは喜ばしいことですが、一方で、サッカーの上手さだけでなく、もっと大事なこともあるよな、と思う訳です。当たり前ですけど。そんなことをつらつらと考えていたので、より一層、大塚監督の「サッカー選手というより一人の人間を育てよう」という言葉に共感しました。

さて、もう一つ、大塚監督のインタビューで気になったことがありました。「翔」というのは大塚監督の息子です。今回の選手権でもメンバーでした。

翔が1年生の時に富山県予選の決勝で交代で出ましたが、シュートをポストに当てて決められず、1−2で負けました。そのときにはインターネットの掲示板でかなりたたかれました。30ページくらいに及びそうな量で「親父がコーチだから試合に出ている」とか、「親父のコネで試合に出やがって」など、辛辣(しんらつ)な言葉で彼は傷つけられて可哀想な想いをさせてしまいました。申し訳ないなという思いがありました。

当然といえば当然かもしれませんが、やはりネットでの書き込みって読まれているのですね。スルー力と言いますが、普通の人にはそれを養う機会もないでしょうし、難しいことなのでしょう。

相当、辛い思いをしたようで「友達と触れ合ったり、祖父母と触れ合ったりということなどで立ち直って、努力してきました」とも述べられています。

30ページということは印刷したんだと思いますが、あえて印刷して読んだのか、それとも誰かが手渡したのか‥‥いずれにせよ、父親がチームの監督というだけで、大変なことは多かったでしょう。

父親である大塚監督としては、息子さんが小さい時に離れて暮らしていたので「息子にしっかり関わってやりたいという気持ちも半分あって、富山第一のコーチを引き受け」たということですが。

優勝校の監督の、嬉しいだけでないインタビューが読めて良かったです。

追記:個人的には、指導者の役割が非常に大きいと思うので、そういう意味でも大塚監督は素晴らしい監督なのだと思います。