屈辱の日から7年、浦和が狙う初王者という記事より。
あの悔しさは忘れていない。優勝に王手をかけた東京戦を2日後に控え、MF岡野は「この時期になると思い出しますね」と感慨深げに口を開いた。7年前の99年11月27日。駒場スタジアムでの広島戦でJ2降格が決まった。
あのシーズンはずっと駒場スタジアムで応援していたのですが(シーズンチケットを手にした最初の年だったと記憶しています)、福田が決めたVゴールのシーンは今でも忘れられません。
試合には勝利したものの、得失点差でJ2に降格。得失点差ですよ。
その瞬間、誰もが息をのみ、言葉を発することができず、動くこともできないまま、駒場スタジアムは涙に暮れました。
あの日、控室は嗚咽(おえつ)に包まれた。この試合を最後に帰国するMFベギリスタインへの花束贈呈も自粛。GK土田尚史(現GKコーチ)の号令で、何とか選手はスタンドに向かった。批判とば声を覚悟して…。だが、満員のサポーターからは怒号のような「WE ARE REDS」の大合唱。
あの日からもう、7年なのですね。
J2をなんとか戦い抜き、再びJ1に戻ることができました。長丁場であるJ2の大変さは、戦った者にしか分かりません。しかし、J1には戻ったけれど、そこからの道も平坦ではありませんでした‥‥。
ぼくは、浦和レッズが上昇気流に乗れたのは、何を差し置いてもオフトがいたからだと思っています。オフトを連れてきた経営陣の手腕ももちろんですが。
選手交代がなかなかできないとか、攻撃的でないとか揶揄されたこともありましたが、オフトと戦ったシーズンがあったからこそ、今の浦和レッズがあるのだと思います。あの時期、オフトが叩き込んでくれた基礎が、今いる選手たちに息づいているはずです。
特に、今や日本代表に欠かせなくなった鈴木啓太は、オフトの申し子と言っても良いのではないでしょうか。エメルソンとコンビを組み、間近に見て成長した田中達也もそうでしょう。
そしてオフトの後を引き継ぎ、浦和レッズを常勝チームへと昇華させたのが、ギドとエンゲルスのコンビです。リアクションサッカーから、自分たちが主導権を握るサッカーへの転換でした。
勝ち点では1位だったのに、チャンピオンシップに泣いたこともありました。しかし、ようやくリーグ制覇をつかみ取れるところまで辿り着いたのです。自分たちの手で。
唯一、気がかりなのは上位キラーとなっているFC東京に、東京MF三浦が引退、浦和戦後にあいさつというニュースが持ち上がっていること。目の前で優勝を見たくない、FC東京のモチベーションはとてつもなく高いことでしょう。
この日朝10時、浦和サポーター有志10人が浦和駅前のデパートに集結。選手がユニホームの下に着用するインナーシャツ26枚、Tシャツも10枚準備した。各1枚に書き込まれたのは、約100人の激励メッセージ。
明日、FC東京戦に勝利すれば優勝が決まります。願わくばホームでなどと欲張りなことは言いません。優勝を、浦和に持ち帰ってください。
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同世代が引退する中、岡野は「チームがいらないという限りやる」。スピードこそ衰えたが、技術は進歩。今季は7試合出場だが、ほぼ全試合でベンチ入り。中村修三GMは「岡野は必要。闘莉王をコントロールしてるのはあいつ。ピッチ外の貢献度もある。功労者だから大切にしたい」と契約更新を明言した。