【わが青春のインターネット】今の自分があるのはパソコン通信のおかげ、パソコン通信に取り憑かれたのはすがやみつる先生がいたから。

【わが青春のインターネット】今の自分があるのはパソコン通信のおかげ、パソコン通信に取り憑かれたのはすがやみつる先生がいたから。

ねとらぼのあのころ、電話線の向こうには“未来”があった―― 「パソコン通信」がくれた出会いと記憶という記事に写真を提供させて頂きました。パソコン通信時代の思い出を‥‥とのことでしたので、30年前に愛読していた書籍を写真に撮って送ったところ、記事のトップに掲載して頂きました!

「パソコン通信」とは、主に1980年代半ば~1990年代ごろに流行していた、いわばインターネットの前身のようなサービス。今と比べると回線速度も遅く、あくまで文字によるやりとりが中心でしたが、それでもネットを通じて別の世界・別のユーザーと「つながる」体験は新鮮で、多くのユーザーがその虜になりました。

ぼくが初めてパソコンを購入した(買ってもらった)のは小学5年生の時でした。コロコロコミックですがやみつる先生の「ゲームセンターあらし」を愛読していたのですが、そこでPC-8001が紹介されたのです。

通っていたそろばん教室に持ち込んで待ち時間に読んでいたのですが、その時の光景は今でもリアルに覚えています。ゲームで遊べる!? 自分でゲームを作れる!? これだ! これだ! 非常に興奮したのを覚えています。

そこから「絶対にパソコンを買う」という目標を立て、確かPC-6601は当時14万円くらいだったと思うのですが、お年玉からお小遣いから一切使うことがなくなり、さらに親の手伝いをして小銭を貯める生活に入りました。

半年くらい経過した頃に「そこまで欲しいなら買ってやる」と親の許可が出て、PC-6601が自分のところにやってくることになりました。

もちろんすがやみつる先生の「こんにちはマイコン」も愛読書です。この頃、子供でも分かりやすいパソコン(マイコン)の書籍って他になかったと思うんですよね。こんなこともできるのか、あんなこともできるのかと、本当に夢を見させてくれた本でした!

いま思うと、当時のパソコンはグラフィック性能が今のように凄いわけでもなく、ゲームもアスキーアートのようなキャラクターが動いていたりで大したものではなかったと思うのですが、でもその分、想像力はかなり掻き立てられました。ここから何かが起こりそうだという、右肩上がりのバブルの入口のような感じでしたね。

パソコン通信というものがあると知ったのも、すがやみつる先生の書籍でした。パソコンの技術書コーナーに通うのを日課としていたのですが、そこで見つけたのが、ねとらぼで紹介してもらったような写真の書籍です。

電話回線で? パソコンがつながる? しかも海外と!? なんだそれ!!!

これまた興奮しました。この頃はまだ小学生で、自宅は黒電話ではなかったかもしれませんが、とにかくモデムというものを買って電話回線に繋がなくてはならないというのは非常にハードルが高く感じました。

PC-6601の次にMSX2も購入していたので、それでもパソコン通信ができると知りました。「リンクス」というパソコン通信の、専用のROMカセットを取り寄せるとパソコン通信に参加できると!

まあでもこれ親に内緒で取り寄せて、後から電話代がかかると知られて、あえなくて返品することになるのですが‥‥。

でもパソコン通信熱は冷めることなく、ついに中3の時にモデムを購入し、初めてパソコン通信に参加するのです!

浦和のホスト、県内のホスト、そして東京のホスト。もちろん電話代はかかりますから、月に5万円くらいいってしまい親に怒られたことも一度や二度ではありませんでした。そりゃそうだ。

そしてパソコン通信で仲良くなった人からISP設立に誘われ、インターネットブーム前夜にインターネットに飛び込んでいくことになります。

ウェブを更新し、メールマガジンを発行し、ブログに出会い‥‥今に繋がっていきます。で、振り返ると、人生のターニングポイントには必ず、すがやみつる先生がいたんですね!

ゲームセンターあらし
こんにちはマイコン
実戦!パソコン通信

昔は雲の上の存在で、今でもそれは変わらないのですが、インターネットになってこんなやり取りも可能になったのです。

しびれるどころではないんです! 本当に! 雲の上の神様と繋がっちゃったみたいな感じなんですから!!

アクセスしようと思えばたいていのものにアクセスできる時代になりました。不便(?)な時代を通過したからこそ、その素晴らしさをしみじみと感じることができます。

手が届かない夢や憧れって、けっこう重要なことだったんだと今になると思います。

すがやみつる先生に憧れていた小学生、中学生だったぼくもアラフィフの入口です。ここまでくると、誰かに夢や憧れを伝えることができたとはさっぱり思えないし、そういうことをやろうと思ったこともなかったのですが、一つだけ。「ブログをコツコツと書き続ける」ということだけは、20年近くやっているので、それだけは止まることなく続けていこうと思います。

ということであのころ、電話線の向こうには“未来”があった―― 「パソコン通信」がくれた出会いと記憶は自分のルーツにも重なる記事で超絶しびれました!