とある事情から若者向けSNSの「TikTok」を始めてみました。昨日、アプリをダウンロードし、ユーザーアカウントを取得したばかりなので、生まれたてホヤホヤの「TikToker」です。諸先輩方、どうぞよろしくお願いします。
わたしはバンビ
「TikTok」を開始して、こんなツイートをしていたのですが、まだ24時間も経過していないではありませんか!
TikTok はじめました。
探さないでください。
— コグレ|note本8/26発売[ブロガー:旅と酒とガジェット] (@kogure) August 13, 2019
足をガクガク震わせながら、自分の足で立てるかどうかといった感じのかわいいバンビちゃんの状態です。右も左も分かりません。
昔は撮影済み動画のアップロードはできなかったらしいのですが、手持ちの動画を2本ほど、適当に‥‥というと言葉が悪いですが、アプリの使い方もよく分からないので、本当に「適当に」音楽を入れて「適当に」倍速にしてみたり「適当に」テキストを入れたりして、適当に加工してアップロードしておきました。なんせバンビちゃんですから。
すると、どうでしょう。
「TikTok」一晩明けたら
1本の動画にハートが150個くらいついた上に再生回数が1万回を超えているではありませんか! 「適当に」テキストを入れただけのやつです。しかも動画の方向は縦ではなく横。始まりも終わりもない、本当に適当な動画。
それでイイんかーい!
というのが正直な気持ちです。いや、そんなに適当でイイんかーい!
これが噂に聞く初心者「TikToker」を中毒にさせてしまうという、ビギナーズラック的なアルゴリズムなのでしょうか。
聞くんですよ、こういう話。「TikTok」を始めてみたら、いきなりバズってしまい、あのバズを求めて「TikTok」を続けている的な話ね。
最初に「適当に」投稿した動画がバズったら、そら止められなくなりますなぁ。あのバズよもう一度、です。
何が面白いのかは分からない
とりあえず隙間時間にチラチラと「TikTok」を眺めているのですが、別に何が面白いというわけでもないような気がするんです。もしかしたらオジさんだから分からない‥‥というともなくて、だって、音楽にあわせて若い子たちが踊っている動画が中心なんですよ。
中には小さい女の子(たぶんママが撮影しているのでしょう)とか、ペットの犬が出てくるような動画も多いのですが「なんか楽しそうだなぁ」「なんかかわいいなぁ」以上の感情は湧き上がってきません。
でも、それこそが「TikTok」なんだろうな、とも思います。短い時間で「ふふっ」となれる動画、それが「TikTok」なんだろうな、と。「ふふっ」となれればいいのだよ。Too muchな感情は「TikTok」には必要ないのである。
「TikTok」のタイムラインは「ふふっ」「ふふっ」の連続なのであった!
あの素晴らしいバズよ、もう一度。
TikTokerを中毒患者のようにしてしまうバズの話もしておきましょう。おすすめに選ばれるとタイムラインに表示され、そうなるとじゃんじゃんハートがついて、バリバリ再生されます。
でも、おすすめに表示されるかどうかはアルゴリズムのみぞ知る、で、ここに表示されることは、雑誌投稿して採用されるみたいな感じがあるのではないかと思います。動画のコメント欄に「伸びたら教えてね」みたいなのがあるのも面白いと思いました。
おすすめに表示されなかったとしても、友達同士でハートをつけあえますし、それもそこそこ楽しいんだと思います。
でも、アルゴリズムでビッグチャンスがやってくるかもしれない感じ、当たったらハートがじゃんじゃんつけられて、再生回数がバリバリ垂れ流しになる感じ‥‥パチンコとかスロットに近いね、これ!
そうなんです。「TikTok」の中毒性は、ちょっとパチンコやスロットと近いものがあるのでは、と感じました。
「何が面白いか分からない」と書きましたが、これはオジさんからの視点で、若い子たちにとっては「TikTok」は身近なスターシステムなのだろう、と思います。
一昔前ならバンドブーム。あとはダンス甲子園とか。最近だとウェブライターブーム。成り上がりたいという気持ちがうまく反映しやすいサービスなのかな、とも感じました。
グッドミュージック音楽があれば半分完成したようなもの
YouTubeとの大きな違いとして、音楽ありきなのも「TikTok」の大きな特徴だと感じました。「TikTok」ではあらかじめ音楽が用意されており、投稿する動画に自由にその音楽をつけることができます。
しばらくタイムラインを眺めていると分かりますが、同じ音楽で踊っている人たちの多いこと!
「TikTok」内で流行っている音楽があり、それにフリをつけて様々な人が踊っているのです。
動画を作るときに「何か面白いことをしなくちゃいけない」とか「起承転結を考えなくてはいけない」というが一切ないのが「TikTok」の特徴でもあります。
つまり、音楽がベースになっていてそれに合わせて踊るのがメインだから、音楽を選んだ時点でほぼ企画は完成しているのです!
しかも、はじまりもおわりもけっこう適当な感じがする‥‥編集という概念が薄い気がする‥‥それでいてジャンジャンバリバリのビッグチャンスの可能性がある。こりゃあ見るのもやるのも若い子は「TikTok」だろうなぁ、と思いました。
※もちろん突き詰めていくと戦略も必要なのだと思いますが、YouTubeなどから比べるとハードルは低い気がします。
コンテンツが消えてしまうのが理解できなかったオジさん
ちょっと別の話になりますが、作ったコンテンツが消えてしまう(見られなくなってしまう)というのが理解できなくて、Instagramのストーリーズ機能とかが理解できずにいました。SnapChatもそうですね。
あれ、なんなのだろう。消えてしまうのに、なんで若者は一生懸命になっているのだろう、と。
そんな風に「分からなかった」のですが、ぶっちゃけただ単に「(良い意味で)適当に」投稿しているだけなら「(コンテンツを)作っている」という感覚すらないのかもしれない、と気づきました。
だとすると、消えることに躊躇しないな、と。
「よそ行きのコンテンツ」と「普段着のコンテンツ」
ブログくらいから、つまり10年以上前からネットで情報発信をしている人と話をすると同じ意見の人が多いのですが「なんで作ったコンテンツ消えちゃって良いのよ!」という感覚があります。
でも「コンテンツを作っている」という感覚がないのであれば、それが消えてしまうことも厭わない‥‥というのは自然なことなのかな、という新たな気付きが「Tiktok」を通じてありました。
これは「検索されることを前提としたコンテンツ」を作ったことがある人と、もともとクローズドだったり流れ去ってしまうようなコンテンツを作っている人の違い、といえるのかもしれません。
コンテンツもフローとストックと言われた時代がありましたが、昨今のコンテンツの主流はフローです。最近のネットに触れている人たちはもともとみんなフローなので消えることを気にしてないんだな、と。というか「そもそもストックってなに?」からの
「むしろ残るって怖い!」くらいかもしれませんね。
ストック型のコンテンツというのは、ちょっとおめかしした「よそ行きのコンテンツ」で、そのことを意識すると情報発信すること自体のハードルが上がります。一方で「普段着のコンテンツ」は気軽に投稿することができます。
インターネット老人会の一員としては「せっかく情報発信するならネットに残る形で」と思ってしまうのですが、今どきは「普段着のコンテンツ」をブログに投稿したところでGoogle先生は見向きもしてくれなくなっているので「TikTok」に投稿する方が正解の気がしました。
この記事を書きながら「適当に」アップロードした動画の再生回数が数百回を超えてました。まじビビる。
以上、オジさんによる「TikTok」を始めてから24時間の雑感です。