酒井法子容疑者の毛髪から陽性反応という記事より。
覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された女優酒井法子容疑者(38)の毛髪から、覚せい剤の陽性反応が出たことが19日、捜査関係者への取材で分かった。
6日間の逃亡生活により尿検査では覚せい剤の陽性反応が出なかった酒井法子容疑者ですが、ついに毛髪から覚せい剤の陽性反応が出たということです。
“逃げ得”を許してはいけない、という話もあったのですが、これで起訴される可能性もより高まったのでしょうか。
酒井容疑者の逃走手助け“社長”らの素性判明というように、徐々に謎の6日間も明らかになりつつあります。
19日発売の「週刊文春」によると、失跡中に協力していたのは元弁護士をはじめ、そのすぐ下の弟の建設業社長、四男にあたる弟で酒井容疑者と夫の高相祐一容疑者(41)の両方の弁護人を務めている「みやび法律事務所」の事務局長の3兄弟。
「建設業社長」というのがまだはっきりと記事では分かりませんが、警察からまだ発表がないので書けない、というところなのでしょうか。
スポニチ本紙の取材では、この3兄弟と酒井容疑者の関係は古く「デビュー前から(次男の社長が)肩入れしていた。継母が新宿の“美人喫茶”で働いていた頃からの知り合いらしい」と関係者。
長男の元弁護士が酒井法子容疑者の個人事務所の顧問弁護士を務めていたなど、複雑な人間関係も明らかになりつつあります。
逃走をサポートしていた訳ですから、幇助などに問われることになるのでしょうか。
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一連の逃走劇のカギを握ると見られる元弁護士は、酒井容疑者の弁護人を務める榊枝真一弁護士が所属する「みやび法律事務所」(東京・港区)を設立したとされる人物。夫の逮捕現場から酒井容疑者を車に乗せて立ち去った「社長」と呼ばれる人物は、この元弁護士のもう一人の実弟だったことも明らかになった。
酒井容疑者は、山梨・身延町や神奈川・箱根町のほかに、東京・東大和市のマンションに滞在していたことが新たに判明。さらに“逃亡”には、イトマン事件などにかかわった元弁護士で、酒井容疑者夫妻の弁護を担当する法律事務所の元所長が介在していたことも分かった。
兄弟と酒井容疑者の交友は25年前にさかのぼり、社長と継母は親密な仲だった。長男の元所長は芸能界デビュー前から知り合いで、結婚後も米ハワイのコンドミニアムを貸すほど酒井容疑者をかわいがっていたという。
酒井容疑者と“親密な関係”にあるとされる建設会社の「社長」は、近所の話によると「多くの作業員を抱えるだけあって、親分気質」。同社の2代目にあたり「先代の時代は事務所前に高級車が何台も並んでいた。最近は不況の流れにのってしまっているようだが、この辺で経済的に助けられた人は多いはず」と話した。
長男の元弁護士は、イトマン事件や茨城カントリークラブ事件など数々の経済事件の主役と親交があった。97年に負債総額5468億円の大型倒産で話題になった「麻布建物」の資産隠しに絡んで公正証書不実記載、同行使で有罪となり、弁護士資格を剥奪された過去を持つと報じられる。
ただ反応がごくわずかだったことから、警視庁は毛髪をさらに詳細に分析し、使用時期や回数などを詳しく調べる。
警視庁組織犯罪対策5課によると、酒井容疑者は「夫に勧められ、昨年夏ごろから吸引するようになった」と供述。同課は酒井容疑者の尿を鑑定したが、覚せい剤使用の反応は検出されず、毛髪を鑑定していた。
同誌では、酒井容疑者からコカインを勧められた男性らの証言を掲載。それによると、日本テレビ系「星の金貨」が放送されていた95年ごろに、東京・六本木のクラブで異常な雰囲気の容疑者に銀紙に包んだ薬物を勧められたという。
渋谷の現場から立ち去った後、酒井容疑者は都内で買い出しをし、3日夜までに山梨県内に移動し、現地で一夜を過ごした。翌4日には東京・東大和のマンションに移動してここで2泊。その後は箱根の別荘に移り、ここでも2泊してから出頭した。一連の逃走経路にはいずれも元弁護士とその弟2人が深くかかわっていたことになる。そして、この兄弟3人を酒井容疑者に紹介したのは継母だったとみられる。
覚せい剤取締法違反容疑で女優酒井法子容疑者(38)が逮捕された事件で、酒井容疑者の毛髪鑑定の結果、覚せい剤の陽性反応が出たことが19日、捜査関係者への取材で分かった。
酒井法子容疑者(38)の担当弁護士が所属する「みやび法律事務所」は18日、報道陣に一切対応しなかった。元弁護士の弟が同事務所の事務局長を務めるが、所有するマンションに酒井容疑者を宿泊させたことについても「一切お答えできません」と、所員は口を固く閉ざしていた。
酒井容疑者の逃走をサポートしていたとみられる元弁護士は、顧問弁護士を務めていた不動産会社「麻布建物」の資産隠しを指南したとして、97年に公正証書原本不実記載、同行使の疑いで逮捕された。1審、2審とも懲役2年、執行猶予5年の有罪判決。最高裁まで争ったが03年10月に有罪が確定し、その後弁護士資格を失った。